メリット・ギフィン
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メリット・ギフィン(1908年) | |||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | メリット・ヘイワード・ギフィン | ||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
種目 | 円盤投 | ||||||||||||||
所属 | Chicago AA, Chicago (USA) | ||||||||||||||
生年月日 | 1887年8月20日 | ||||||||||||||
生誕地 | アメリカ合衆国イリノイ州ウィル郡ロックポート(en:Lockport, Illinois)[1] | ||||||||||||||
没年月日 | 1911年7月11日(23歳没) | ||||||||||||||
死没地 | アメリカ合衆国ウィル郡イリノイ州ジョリエット | ||||||||||||||
身長 | 186cm | ||||||||||||||
体重 | 84kg | ||||||||||||||
自己ベスト | 円盤投:42.06m(1908年) | ||||||||||||||
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メリット・ヘイワード・ギフィン(Merritt Hayward Giffin、1887年8月20日 - 1911年7月11日)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手である。1908年に開催されたロンドンオリンピックの円盤投競技では、銀メダルを獲得した。
経歴
[編集]ロンドンオリンピックでの円盤投競技は、1908年7月16日に11の国から42人の選手が参加し、ホワイトシティ・スタジアムを会場として実施された。選手たちは、A組からF組までの6グループに分けられて決勝進出を目指した。ギフィンは予選で40メートル70センチメートルのオリンピック新記録を出して予選C組の1位となって同日の決勝に臨んだが、決勝では1904年セントルイスオリンピックと1906年アテネオリンピック[2] の円盤投覇者であるマーチン・シェリダンがその記録を上回る40メートル89センチメートルの新記録を出してオリンピック3連覇を果たし、ギフィンは銀メダルを獲得することになった[3]。
他の主要な競技会では、1910年のAAU選手権で優勝した経験がある。しかし、ロンドンオリンピックのわずか3年後、1911年7月1日にイリノイ州ジョリエットで死去している。
脚注
[編集]- ^ メリット・ギフィン Profile:Olympic Athletes Born in Lockport, Illinois, United States [リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.2017年9月17日閲覧。
- ^ この大会は、現在のオリンピック史では非公式大会扱いにされている。詳細については当該項目を参照のこと。
- ^ Athletics at the 1908 London Summer Games:Men's Discus Throw[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2011年10月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- メリット・ギフィン - Olympedia