モスティン男爵
モスティン男爵 Baron Mostyn | |
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創設時期 | 1831年9月10日 |
創設者 | ウィリアム4世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵エドワード・ロイド |
現所有者 | 7代男爵グレゴリー・モスティン |
推定相続人 | ロジャー・ロイド=モスティン |
付随称号 | (ペングウェラの)準男爵 |
モットー | 我が助けは神に由来す (Auxilium Meum A Domino) |
モスティン男爵(英語: Baron Mostyn)はイギリスの男爵、貴族、連合王国貴族爵位。庶民院議員エドワード・ロイドが1831年に叙位されたことに始まり、以降はロイド=モスティン家がその爵位を保持する。
本項ではその前身となったロイド準男爵[注釈 1]に関しても触れる。
歴史
[編集]エドワード・プライス・ロイド(1710頃-1795)はロイド家出身者のうち最初に称号を得た人物で、彼は1778年にグレートブリテン準男爵位の「(フリント州ペングウェラの)準男爵(Baronet, of Pengwerra in the County of Flint)」を授けられた[1][2][3]。この準男爵位には残余権が付与されており、エドワードの弟とその男子にも相続を認めていた[3]。ゆえに、彼ののちは存命の甥エドワードが準男爵位を継承した[2][3]。
その2代準男爵エドワード(1768-1854)が男爵家の祖となった人物であり、フリント・バラズ選挙区及びボーマリス選挙区選出の庶民院議員を務めた政治家である[3][4]。彼は1795年に義父サー・ロジャー・モスティンからウェールズの地所を相続したほか[4][5]、1831年9月10日には連合王国貴族として「フリント州モスティンのモスティン男爵(Baron Mostyn, of Mostyn in the County of Flint)」に叙せられた[2][3][4][5]。
その息子の2代男爵エドワード(1795-1884)もフリントシャー選挙区及びリッチフィールド選挙区選出の庶民院議員を務めたほか、メリオネスシャー統監[注釈 2]も務めた[2][3]。彼は父が叙爵された1831年に勅許を得て、母方の名家「モスティン(Mostyn)」の名をその姓に加えた[2][3]。エドワードの子トマスは父の跡を継いでフリントシャー選出の庶民院議員を務めたが、爵位を継ぐ前に31歳で急逝した[6]。そのため、爵位はエドワードの孫ルワレンが継承した[2][3][5]。以降も直系男子による継承が続いており、ルワレンの玄孫である7代男爵グレゴリーが男爵家現当主である[5]。
7代男爵グレゴリー(1984-)は、2011年3月22日に父の死去に伴って爵位を継承した[5][7][8][9]。モスティン男爵家は、自ら開発したウェールズ北部のリゾート地スランディドゥノをはじめ、モスティン・エステーツ (Mostyn Estates) として多くの地所を抱えており、現当主は若手イギリス人の長者番付に度々名前が挙がっている[9][10][11]。ハリー杉山は現当主のかつての同級生である[11][12][13][14]。
モスティン男爵家の邸宅はフリントシャーモスティンのモスティン・ホール[5]。モスティン・ホールには、リチャード3世に追われていたヘンリー7世が逃げ込み、先祖が匿ったとの伝承がある[11]。
一覧
[編集]ペングウェラのロイド準男爵(1778年)
[編集]- 初代準男爵サー・エドワード・プライス・ロイド(1710年頃 - 1795年)
- 第2代準男爵サー・エドワード・ロイド(1768年 - 1854年)
- 1831年に「モスティン男爵」を叙爵され、初代モスティン男爵となる。
モスティン男爵(1831年)
[編集]- 初代モスティン男爵エドワード・プライス・ロイド(1768年 - 1854年)
- 第2代モスティン男爵エドワード・モスティン・ロイド=モスティン(1795年 - 1884年)
- トーマス・エドワード・ロイド=モスティン閣下(1830年 - 1861年)※推定相続人のまま死去、爵位は息子へ
- 第3代モスティン男爵ルワレン・ネヴィル・ヴォーン・ロイド=モスティン(1856年 - 1929年)
- 第4代モスティン男爵エドワード・ルワレン・ロジャー・ロイド=モスティン(1885年 - 1965年)
- 第5代モスティン男爵ロジャー・エドワード・ロイド・ロイド=モスティン(1920年 - 2000年)
- 第6代モスティン男爵ルワレン・ロジャー・ロイド・ロイド=モスティン(1948年 - 2011年)
- 第7代モスティン男爵グレゴリー・フィリップ・ロジャー・モスティン(1984年 - )
爵位の推定相続人は、7代男爵のみいとこの孫であるロジャー・ヒュー・ロイド=モスティン(1941年 - )で、2代男爵から数えて7代目にあたる[15]。
その次代は長男クリストファー・エドワード・ロイド=モスティン(1968年 - )、更に次代はアレクサンダー・ジェイムズ・ロイド=モスティン(2000年 - )。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Current Great Britain Baronetcies”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. p. 656
- ^ a b c d e f g h Cokayne, G. E., ed (1893). Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct, or dormant (L to M). 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 388
- ^ a b c “LLOYD, Sir Edward Pryce, 2nd Bt. (1768-1854), of Pengwern, Flints. and Bodfach, Mont. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Mostyn, Baron (UK, 1831)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月1日閲覧。
- ^ Craig, F. W. S. (1989) [1977]. British parliamentary election results 1832–1885 (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 525. ISBN 0-900178-26-4
- ^ “The Lord Mostyn”. The Times. (2 April 2011). オリジナルの2011年8月31日時点におけるアーカイブ。
- ^ Waddington, David (2011年4月6日). “Tributes as sixth Lord Mostyn dies”. North Wales Pioneer. 2020年8月14日閲覧。
- ^ a b “Wales’ richest are among the wealthiest”. WalesOnline (2011年5月9日). 2020年8月14日閲覧。
- ^ Powell, David (2013年11月23日). “Lord Mostyn: Britain's 13th richest under 30-years-of-age”. North Wales Live. 2020年8月14日閲覧。
- ^ a b c “「世界ふしぎ発見!」 2020年6月27日(土)放送内容”. 価格.com. 2020年8月14日閲覧。
- ^ ハリー杉山 (2014年2月9日). “幼馴染みサプライズ!!!”. LINE BLOG. 2020年8月14日閲覧。
- ^ ハリー杉山 [@harrysugiyama] (2019年2月9日). "今夜 幼馴染の グレゴリー、現モスティン卿が NHK BSプレミアム に出ます。1930〜 リアル白馬の王子さま です。 日本が大好きで日本語も独学で喋ります。ただ皆様、彼の隣に毎晩寝るのはくまもん と どーもくん、時にはアンパンマンのぬいぐるみです。それほど日本が大好き、、と言う事で 笑". X(旧Twitter)より2020年8月14日閲覧。
- ^ ハリー杉山 [@harrysugiyama] (2020年6月21日). "幼馴染をインタビューしてます。ふしぎ発見です。相変わらず日本大好きなグレゴリー。そしてしっかりグーナーっぷりを発揮。#世界ふしぎ発見 #アーセナル". X(旧Twitter)より2020年8月14日閲覧。
- ^ “Archived copy”. 2013年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月9日閲覧。
参考文献
[編集]- Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990, [要ページ番号]
関連項目
[編集]- タレイカーのモスティン準男爵
- モスティン・ホール
- スランディドゥノ - ウェールズ北部のリゾート地。男爵家が開発し、現在でも多くの土地を所有する
外部リンク
[編集]- “Mostyn Estates”. 2020年8月14日閲覧。
- 宮地眞理子も感動☆本編で紹介できなかった部屋を大公開!!『世界ふしぎ発見!』10/12(土)オフショット【TBS】 - YouTube - 2019年10月12日公開。2020年8月14日閲覧。