モハンマドレザー・アーレフ
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モハンマドレザー・アーレフ ペルシア語: محمدرضا عارف, | |
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(2016年) | |
生年月日 | 1951年12月19日(73歳) |
出生地 | ヤズド |
出身校 |
テヘラン大学 スタンフォード大学 |
前職 | エンジニア |
配偶者 | ハミーデ・モラッヴェジ・ファルシー |
子女 | 3人 |
サイン | |
在任期間 | 2024年7月28日 - |
大統領 | マスウード・ペゼシュキヤーン |
在任期間 | 2001年8月26日 - 2005年9月10日 |
大統領 | モハンマド・ハータミー |
在任期間 | 1997年8月20日 - 2000年6月17日 |
大統領 | モハンマド・ハータミー |
在任期間 | 2002年3月16日 - |
最高指導者 | アリー・ハーメネイー |
選挙区 | テヘラン |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2016年5月28日 - 2020年5月26日 |
モハンマドレザー・アーレフ(ペルシア語: محمدرضا عارف、Mohammad-Reza Aref、1951年12月19日 - )は、イランの学者、政治家。ヤズド生まれ。
現第一副大統領、現シャリーフ工科大学教授、現公益判別会議議員[1]、元国会議員[2]。改革派。
テヘラン大学卒業、1980年アメリカのスタンフォード大学で電気工学博士号を取得し、同年帰国。1982年から1995年までエスファハーン工科大学で教鞭を執り、1994年から1997年までテヘラン大学総長、1995年から現在までシャリーフ工科大学教授をつとめている[3]。
その一方で、ハータミー(同じヤズド州出身である)政権下で情報通信技術大臣(1997年 - 2000年)、第一副大統領(2001年 - 2005年)を歴任した。改革派戦線のリストの最初の候補者として2008年の議会選挙に指名されたが、監督者評議会による一部の候補者の拒否に抗議するために撤回した[4]。
2013年6月のイラン大統領選挙に立候補、監督者評議会により出馬を認められた[5]が、選挙戦終盤の6月10日、選挙戦からの撤退を明らかにした[6]。大統領選は落選したが、イランの次期大統領であったハサン・ロウハーニーはアーレフを閣僚に任命することを決めていた[7]。しかし、アーレフは党の設立に焦点を当てるために、閣僚(科学担当副大統領)への任命を拒否した。ただし、ロウハニの顧問の一人になることへの関心を示している。
2024年7月、新たに大統領に就任したペゼシュキヤーンから、第一副大統領に任命された[2]。
脚注
[編集]- ^ “イラン公益評議会議員の任命”. アヤトッラー・セイエド・アリー・ハーメネイー業績・作品研究所. (2012年3月14日) 2013年1月5日閲覧。
- ^ a b “Aref Chosen as Iran’s Vice President”. Tasnim News Agency. (2024年7月28日) 2024年7月30日閲覧。
- ^ “Prof. Aref 's biography”. 2013年1月5日閲覧。
- ^ Bozorgmehr, Najmeh (2008年2月7日). “Khatami calls Iran poll disqualifications a 'disaster'”. Financial Times (Tehran) 21 June 2013閲覧。
- ^ “Eight presidential candidates confirmed by Guardian Council”. Tehran Times. (2013年5月21日) 2013年5月23日閲覧。
- ^ “イラン大統領選:元副大統領が選挙戦からの離脱表明”. 毎日新聞. (2013年6月11日) 2013年6月14日閲覧。
- ^ “Who Might Serve in Rowhani's Cabinet?”. Iran's View. (2023年6月22日) 2024年8月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- Mohammad Reza Aref 's Home Page-本人のサイト(英語)
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