モンタギュー・ブランデル (初代ブランデル子爵)
表示
初代ブランデル子爵モンタギュー・ブランデル(英語: Montague Blundell, 1st Viscount Blundell、1689年6月19日(洗礼日) – 1756年8月19日)は、イギリスの政治家。1715年から1722年まで庶民院議員を務め、1720年にアイルランド貴族のブランデル子爵に叙された。ホイッグ党所属[1]。
生涯
[編集]第3代準男爵フランシス・ブランデルと2人目の妻アン・インゴルズビー(Anne Ingoldsby、初代準男爵ヘンリー・インゴルズビーの娘)の息子として生まれ、1689年6月19日に洗礼を受けた[1]。
1715年イギリス総選挙でヘイズルミア選挙区から出馬して当選、貴族法案以外では常に政府を支持した[2]。1722年イギリス総選挙では得票率で最下位になり落選、以降2度と出馬しなかった[2]。1720年11月22日[2]、ブランデル子爵とキングス・カウンティのイーデンデリーのブランデル男爵(いずれもアイルランド貴族)に叙された[3]。
1756年8月19日に死去、息子に先立たれたため爵位は断絶した[1][2]。
家族
[編集]1709年9月、メアリー・チェットウィンド(Mary Chetwynd、1756年12月9日没、ジョン・チェットウィンドの娘)と結婚[1]、1男1女を儲けた[2]。
- メアリー - 1733年6月4日、ウィリアム・トランブル(William Trumbull)と結婚、子供あり
- 男子 - 父より先に死去
出典
[編集]- ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 197.
- ^ a b c d e Sedgwick, Romney R. (1970). "BLUNDELL, Sir Montague, 4th Bt. (1689-1756).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年8月3日閲覧。
- ^ "No. 5876". The London Gazette (英語). 9 August 1720. p. 1.
グレートブリテン議会 | ||
---|---|---|
先代 ジョージ・ヴァーノン サー・ニコラス・ケアルー準男爵 |
庶民院議員(ヘイズルミア選挙区選出) 1715年 – 1722年 同職:サー・ニコラス・ケアルー準男爵 |
次代 ジェームズ・オグルソープ ピーター・バレル |
アイルランドの爵位 | ||
爵位創設 | ブランデル子爵 1720年 – 1756年 |
断絶 |
アイルランドの準男爵 | ||
先代 フランシス・ブランデル |
準男爵 1707年 – 1756年 |
断絶 |