モーガン・バークリー
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モーガン・バークリー | |
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Morgan Bulkeley | |
第54代 コネチカット州知事 | |
任期 1889年1月10日 – 1893年1月4日 | |
副知事 | サミュエル・E・マーウィン |
前任者 | フィニアス・C・ラウンズベリー |
後任者 | ルザン・B・モリス |
アメリカ合衆国上院議員 コネチカット州選出 | |
任期 1905年3月4日 – 1911年3月3日 | |
前任者 | ジョセフ・R・ホーリー |
後任者 | ジョージ・P・マクリーン |
個人情報 | |
生誕 | Morgan Gardner Bulkeley 1837年12月26日 アメリカ合衆国 コネチカット州イーストハダム |
死没 | 1922年11月6日(84歳没) アメリカ合衆国 コネチカット州ハートフォード |
政党 | 共和党 |
配偶者 | ファニー・バークリー |
兵役経験 | |
所属国 | アメリカ合衆国 |
所属組織 | アメリカ陸軍 (北軍) |
最終階級 | 二等兵 |
部隊 | ニューヨーク第13義勇連隊 |
戦闘 | 南北戦争 |
モーガン・ガードナー・バークリー(Morgan Gardner Bulkeley, 1837年12月26日 - 1922年11月6日)は、アメリカ合衆国の政治家、プロ野球の球団経営者。コネチカット州イーストハダム生まれ。メジャーリーグベースボールのナショナルリーグ初代会長。
来歴・人物
[編集]ハートフォードの公立高校を卒業後、バークリーは1852年にブルックリンで叔父が経営していた H.P.モーガン社に入社する。ほどなくして勃発した南北戦争の際従軍し一時会社を離れるが、戦後に復職。1872年に父親の死をきっかけにハートフォードに戻り、地元で銀行 (United States Bank of Hartford) を創業、初代の頭取となる。
1874年、バークリーは地元ハートフォードに「ハートフォード・ダークブルース」というプロ野球のチームを組織し、当時のプロ野球リーグであるナショナル・アソシエーションに加盟する。チームの中心には後にアメリカ野球殿堂入りした投手、キャンディ・カミングスと、選手兼任監督としてボブ・ファーガソンを据える。しかし当時飲酒や賭けが横行していたリーグはほどなく解体してしまう。バークリーは解体したナショナル・アソシエーションに代わる新たなプロ野球リーグの創立に奔走、1876年にナショナルリーグが設立された際、その初代会長に就任した。会長職を務めたのはわずか1年で、翌年にはウィリアム・ハルバートにその職を譲るが、その間球場での飲酒や賭けの禁止、あるいは日曜日に試合を組まないなどの基本的なリーグの運営方針を打ち出した。
その後バークリーは1880年からハートフォード市の市長職をつとめ、コネチカット州知事を経て1905年から1911年までアメリカ上院議員などを務めている。
1922年にハートフォードにて死去。死後アメリカ野球殿堂が設立され、1937年にアメリカン、ナショナル両リーグの初代会長は揃って殿堂入り表彰された。
関連項目
[編集]出典・外部リンク
[編集]- Baseballhalloffame.org – アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介