モーツァルト家
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モーツァルト家(モーツァルトけ、独: Mozartfamilie, Familie Mozart)は、オーストリア・ザルツブルク州の中心地ザルツブルク市の音楽家一家。
概要
[編集]モーツァルト家は、1321年から1330年ごろにかけてドイツ南部のシュヴァーベン公国(現・バイエルン州南西部とバーデン=ヴュルテンベルク州南東部の境目)にあるアルゴイ地方にさかのぼり、今日でもレヒ川(ドナウ河の支流)、アルゴイ高地などの地域に点在する。
作曲家モーツァルトの父方の祖先もその地域の出身であり、元来はモツハルト(Motzhardt, Motzhart)という綴りで、本来は「みすぼらしい者・卑しい者」や「湿地の藪」を起源とする意味であった。そのような蔑称的なイメージを避けるために、ある時期から姓を現在の「モーツァルト」としての語形を変えて、アウクスブルクから南方にあるシュタウデンを経て、プファーゼーに移住した。そのモーツァルト家が有名になったのは、レオポルトと息子のヴォルフガング・アマデウスの音楽活動が世界的に認められたためである。
モーツアルト一家
[編集]- ダーフィト・E・モツハルト(David E. Motzhardt, ? – 1625/6、アルゴイ地方の農夫)
- ダーフィト・モツハルト(David Motzhardt, 1620 - 1685、アウクスブルク近郊のプファーゼー生まれの煉瓦職人で大工の棟梁。ディッリンゲンのプファール教会の尖塔を造る。同教会はアウクスブルク司教の夏場の宮殿であった)
- (無名の息子、早世)
- ダニエル・モーツァルト(1645 - 1683)
- ハンス・ゲオルク・モーツァルト(1647 - 1719, 煉瓦職人・大工の棟梁・ツンフトの親方。アウクスブルクのザンクト=ゲオルク司教座教会を建てる。フッガー家の後援者)
- フランツ・モーツァルト(1649 - 1694、煉瓦職人)
- ヨハン・ゲオルク・モーツァルト(1679 - 1736、製本工。再婚相手はアウクスブルク出身のアンナ・マリア・ズルツァー(Anna Maria Sulzer))
- レオポルト・モーツァルト(1719 - 1787、宮廷楽師・作曲家。アンナ・マリア・ペルトルと結婚)
- マリア・アンナ・モーツァルト(1751 - 1829、愛称:「ナンネル」)
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756 - 1791)
- ライムント・モーツァルト(1783 - 1783)
- カール・トーマス・モーツァルト(1784 - 1858)
- ヨハン・レオポルト・モーツァルト(1786 - 1786)
- テレージア(1787 - 1788)
- アンナ(1789 - 1789)
- フランツ・クサーヴァー・モーツァルト(1791 - 1844、「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世」)
- フランツ・アロイス・モーツァルト(1727 - 1791、アウクスブルクの製本工)
- マリア・アンナ・テクラ・モーツァルト(1758 - 1841、愛称:「ベーズレ」)
- レオポルト・モーツァルト(1719 - 1787、宮廷楽師・作曲家。アンナ・マリア・ペルトルと結婚)
- 無名の息子
- 無名の息子
- ヨハン・ゲオルク・モーツァルト(1679 - 1736、製本工。再婚相手はアウクスブルク出身のアンナ・マリア・ズルツァー(Anna Maria Sulzer))
- ミヒャエル・モーツァルトまたはダーフィト・モーツァルト神父(1655 - 1710、フランチェスコ会修道士)
- ダーフィト・モツハルト(David Motzhardt, 1620 - 1685、アウクスブルク近郊のプファーゼー生まれの煉瓦職人で大工の棟梁。ディッリンゲンのプファール教会の尖塔を造る。同教会はアウクスブルク司教の夏場の宮殿であった)