ヤッペ・ニルセン
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ヤッペ・ヤコブ・ニルセン Jappe Jacob Nilssen | |
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エドヴァルド・ムンクによる肖像画(1909年) | |
誕生 |
1870年1月25日 ノルウェー クリスチャニア(現オスロ) |
死没 | 1931年 |
職業 | 作家、美術史家 |
国籍 | ノルウェー |
代表作 | 『ネメシス』(1896年)、『日没』(1903年) |
ヤッペ・ニルセン(Jappe Nilssen, 1870年1月25日 - 1931年)は、ノルウェーの作家、美術史家。
概要
[編集]クリスチャニア(現オスロ)で生まれた。長編小説2篇と、短編小説数篇を著したが、主に美術批評家としてのDagbladet紙への寄稿で知られる。同紙には、1908年から亡くなるまで寄稿を続けた。画家エドヴァルド・ムンク[1][2]、画家オーダ・クローグ[3]、作家ハンス・イェーゲル[4]と親しく、クリスチャニア・ボヘミアンの一員と言われる[5]。
1891年、ニルセンは、クリスチャン・クローグの妻で、ニルソンより10歳上のオーダ・クローグと不倫関係になったといわれる。ムンクは、この不倫関係を『メランコリー』という絵画の題材としている。ニルセンの最初の小説Nemesisには、Nils Falkという若い作家が10歳上の人妻と不倫関係を持つ話が登場する。
ムンクは、1909年、ニルセンの肖像画を描いている。また、1925年から1926年には、ニルセンと医師Lucien Dedichenとを描いた作品を制作している。そのほか、ヘンリック・イプセンと並んだデッサンも制作している。
1909年、ニルセンと、国立美術館(現オスロ国立美術館)の館長イェンス・ティースは、ムンクの油絵100点と版画200点の大展覧会を開催した。この展覧会は成功に終わり、ムンクが一般的に認知されるについて大きな役割を果たした。
作品
[編集]- 長編小説
- Nemesis(コペンハーゲン、1896年)
- Solefald(『日没』クリスチャニア、1903年)
- 短編小説
- Kun én gang vaar: fortælling(クリスチャニア、1904年)
- Den gamle historie og andre fortællinger(クリスチャニア、1905年)
- Faderglæde, og andre fortællinger(クリスチャニア、1911年)
- 評論
- Belgisk kunst i Norge(『ノルウェーにおけるベルギー美術』クリスチャニア、1918年)
脚注
[編集]- ^ Wood Cordulack, Shelley. 2002. Edvard Munch and the Physiology of Symbolism. Cranbury, NJ: Associated University Presses, p. 81.
- ^ Prideaux, Sue. 2005. Edvard Munch: Behind the Scream. New Haven, CT: Yale University Press, p. 100.
- ^ Larson, Barbara. 2009. Darwin's Sexual Selection and the Jealous Male in Fin-de-Siècle Art. In Barbara Jean Larson & Fae Brauer (eds.), The Art of Evolution: Darwin, Darwinisms, and Visual Culture, pp. 173–193. Hanover, NH: Dartmouth College Press, p. 184.
- ^ Adams, Jad. 2004. Hideous Absinthe: A History of the Devil in a Bottle. London: I. B. Tauris, p. 111.
- ^ Mørstad, Erik. 2006. Edvard Munch: An Anthology. Oslo: Oslo Academic Press, p. 15.