コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヤン・フィリップ・ファン・ティーレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤン・フィリップ・ファン・ティーレン
Jan Philip van Thielen
コルネリス・デ・ビーの著作に掲載された肖像画
生誕 1618年4月1日(洗礼日)
メヘレン
死没 1661年3月23日
Heist-op-den-Berg
テンプレートを表示

ヤン・フィリップ・ファン・ティーレン(Jan Philip van Thielen 、Jan Philips van Thielenとも[1]1618年4月1日(洗礼日)- 1667年)は、フランドルの画家。花の絵や花環図(garland)を得意とした。

略歴

[編集]

メヘレンで生まれた。1631年か1632年の間にアントウェルペンに移り、1627年に姉と結婚して義理の兄となった画家のテオドール・ロンバウツのもとで絵を学んだ[2] 。1940年頃、アントウェルペンの聖母大聖堂の助祭の一族の娘と結婚し、その姉妹と結婚した画家のエラスムス・クエリヌス2世とも義理の兄弟となった。

花の絵が好きであったファン・ティーレンはこの頃、ダニエル・セーヘルスのもとで学び始めた。1642年にアントウェルペンの聖ルカ組合の親方になった。 1640年代半ばから亡くなるまで花環図(garland)や花の静物画を描いた。当時のフランドルなどで一般的であった、共作も多く行い、他の画家が描いた肖像画や宗教画の画像の周りをファン・ティーレンが花環で飾った。共作をした画家には義理の兄弟で人物画が得意なエラスムス・クエリヌス2世や、フランス・フランケン2世コルネリス・スフートコルネリス・ファン・プーレンブルフらがいた[3]。18世紀初めに画家の伝記を出版したアルノルト・ホウブラーケンによれば、ファン・ティーレンの花の絵は人気があり、スペイン王室からも注文があったとされる[4]

1659年までアントウェルペンで活動し、1660年にメヘレンに移り、メヘレンの聖ルカ組合の会員になった[5]

メヘレン近くのハイスト=オプ=デン=ベルグ(Heist-op-den-Berg)で没した。

マリア=テレジア・ファン・ティーレン(Maria Theresia van Thielen: 1640-1706)を含むファン・ティーレンの3人の娘たちは父親から絵を学び、花の静物画を描く画家になったと伝えられているが、マリア=テレジを除いては作品は残っていない。

作品

[編集]

参考文献

[編集]
  1. ^ その他の名前に: Jan Philip van Thielen Rigouldts, Jan Philip van Thielen van Cauwenbergh, Jan Philip van Thielen van Couwenbergheなどもある。
  2. ^ Name variations: Jan Philip van Thielen Rigouldts, Jan Philip van Thielen van Cauwenbergh, Jan Philip van Thielen van Couwenberghe
  3. ^ Jean-Pierre de Bruyn. "Thielen, Jan Philips van." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 25 Nov. 2013
  4. ^ jan Philip van Thielen biografie in: Arnold Houbraken, de Groote Schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen, 1718
  5. ^ Frans Jozef Peter Van den Branden, Geschiedenis der Antwerpsche schilderschool, Antwerpen, 1883, pp. 1132–1133 (オランダ語)