ヤン・モスタールト
ヤン・モスタールト Jan Mostaert | |
---|---|
ヤン・モスタールト作の3面祭壇画 | |
生誕 |
1474年頃 ハールレム |
死没 |
1552年か1553年 ハールレム |
ヤン・ヤンスゾーン・モスタールト(Jan Jansz. Mostaert[1]、1474年頃生まれ、1552年か1553年に没)はオランダの画家。16世紀前半のハールレムで活動した画家である。宗教的な主題の作品や、肖像画、風景画を残した。
略歴
[編集]モスタールトの経歴は、17世紀初めにカレル・ファン・マンデルが出版した『画家列伝』の記述が信じられてきたが、その内容は現在では余り正確でないとされている[2] 。ファン・マンデルは貴族の出身としているが、モスタールトはハールレムの裕福な製粉業者の息子に生まれたとされる。ヤコブ・ヤンスゾーン・ファン・ハールレム(Jacob Jansz. van Haarlem)という殆ど知られていない画家の弟子になったと伝えられている[3]。
1498年にハールレムの文書に名前が初めて見られ、1502年にハールレムの聖ルカ組合に加入し、1507年に役員に選ばれた記録がある。この頃、ハールレムの聖バーフ教会でした仕事については多くの記録が残されている。1516年から1526年の間、ハールレムにはモスタールトに関する記録が無くなることからこの時期はネーデルラント17州総督のマルグリット・ドートリッシュに招かれて、メヘレンの宮廷で働いたのではないかと推定されている。ファン・マンデルの著書には宮廷画家として働いた記述は無いが、マルグリットの1504年に亡くなった夫、サヴォイア公フィリベルト2世の肖像画を残している。
1526年から再びハールレムでの活動が記録されるようになり、1542年から1543年に再び聖ルカ組合の役員になった[2]。
1553年の復活祭の前までにハールレムで没した。
宗教的な主題の作品や、肖像画、風景画を残した。
作品
[編集]-
Abel van Coulsterの肖像画 (1510年代)
ベルギー王立美術館蔵 -
Jacob Jansz van der Meerの肖像画 (1500年代)
コペンハーゲン国立美術館蔵 -
『洗礼者聖ヨハネの首と、悲しむ天使・プット達』 (1510/1625)
ナショナル・ギャラリー (ロンドン)蔵
-
最後の審判の3面祭壇画 (1510/1514)
-
ハガルとイシュマルの追放 (c.1520)
ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵
脚注
[編集]- ^ その他の名前には Jan Jansz Mostaert, Joannes Sinapius, Master of Oultremont, Jan Jansz. Mostaert, Joannes Sinapius Mostaert, Beschryving van Haarlem, Jan Schrevelius, Jansz. Mostaert, Meester van d'Oultremont, Master of Oultremont, Jehan Masturd, Jan Mostertsoenなどがあある。
- ^ a b J.P. Filedt Kok, 'Jan Jansz Mostaert, Portrait of an African Man, c. 1525 - c. 1530', in J.P. Filedt Kok (ed.), Early Netherlandish Paintings, online coll. cat. Amsterdam 2010: hdl.handle.net/10934/RM0001.COLLECT.431086 (accessed 30 March 2019).
- ^ Jan Mostaert in Karel van Mander's Schilder-boeck, 1604
参考文献
[編集]- AA. VV., Dizionario della pittura e dei pittori, diretto da Michel Laclotte con la collaborazione di Jean-Pierre Cuzin; edizione italiana diretta da Enrico Castelnuovo e Bruno Toscano, con la collaborazione di Liliana Barroero e Giovanna Sapori, vol. 1-6, Torino, Einaudi, 1989-1994, ad vocem, SBN IT\ICCU\CFI\0114992.