ヤースーフ
表示
ヤースーフ ياسوف | |
---|---|
位置 | |
座標 : 北緯32度06分23秒 東経35度14分08秒 / 北緯32.10639度 東経35.23556度 | |
行政 | |
国 | パレスチナ |
地区 | ヨルダン川西岸地区 |
県 | サルフィート県 |
村 | ヤースーフ |
地理 | |
面積 | |
村域 | 1.23 km2 |
人口 | |
人口 | (2017年現在) |
村域 | 2,093人 |
人口密度 | 1,702人/km2 |
その他 | |
等時帯 | パレスチナ時間 (UTC+2) |
夏時間 | パレスチナ夏時間 (UTC+3) |
ヤースーフ(アラビア語: ياسوف Yāsūf)は、ヨルダン川西岸地区北部サルフィート県にあるパレスチナの町で、サルフィートから7km北東に、ナーブルスから37km南西に位置する。2017年国勢調査によると人口は2,093人[1]。住民のおよそ87%が農業を収入源にしており、残りの住民は公共部門で働いている。[2]
歴史
[編集]古代~中世
[編集]ローマ支配下の時代(紀元前63年~330年)、この村はヤーシュブ(Yaashuv)として知られており、ユダヤの丘(ジバール・ル=ハリール)、サマリア南部、ロッドなどの地域における、果物・穀物・豆果といった3品目の主要な市場であった。[3]
十字軍の時代には、ディヤーゥッディーン(Diya' al-Din、1173~1245)が、ヤースーフには地方モスクが1つある、と記述しており、既にその時代、村には無視できぬ程のムスリム人口があったことを示している。[4]
イスラエル・パレスチナ紛争
[編集]→詳細は「イスラエル・パレスチナ紛争」を参照
2009年12月11日、ユダヤ人入植者の集団が狼藉を働き、ヤースーフにあるアル=カビール・モスク(Al-Kabir Mosque)を焼討した。[5] 祈りの絨毯と聖クルアーンは炎の中で塵と化し、放火犯は落書きを残して行った。曰く、「我々はお前たち全員を焼き殺す」、「代償を支払う覚悟をしろ」と。[6] 2、3ヶ月前、ユダヤ人入植者の過激派たちは、ユダヤ人入植地の建物が解体される度ごとに、西岸地区のパレスチナ人は「値札」通りの代償を支払わされることになるであろう、と宣言していた。[6] このモスク焼討事件に続いて、ユダヤ人は、放火に対して抗議しているパレスチナ系住民100人を発砲した。[6]
脚注
[編集]- ^ “YASUF”. Citypopulation (2023年8月2日). 2023年11月14日閲覧。
- ^ Yassuf Village: General Information 国土研究センター(LRC)、2008年9月18日。
- ^ Safrai, 1994, p. 66.
- ^ Ellenblum, 2003, p. 244.
- ^ West Bank settlers set fire to mosque, Maan News, 2009年12月11日。
- ^ a b c Mark Weiss (2009年12月12日). “Mosque fire leads to West Bank clash”. The Irish Times. 2009年12月14日閲覧。
参考文献
[編集]- Conder and Kitchener (1882). The survey of western Palestine : memoirs of the topography, orography, hydrography, and archaeology
- Ellenblum, Ronnie (2003). Frankish Rural Settlement in the Latin Kingdom of Jerusalem (Illustrated ed.). Cambridge University Press. ISBN 9780521521871
- Safrai, Zeev (1994). The economy of Roman Palestine (Illustrated ed.). Routledge. ISBN 9780415102438