ユキノエルザ
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
ユキノエルザ | |
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現役期間 | 1985年 - 1992年[1] |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量25.00%)[1] |
性別 | 牝[1] |
毛色 | 鹿毛[1] |
生誕 | 1983年5月18日[1] |
死没 | 不明 |
抹消日 | 1993年12月1日[2] |
父 | アステリツクス[1] |
母 | キヨウワエルザ[1] |
母の父 | ベルバリー[1] |
生国 | 日本(北海道平取町)[1] |
生産牧場 | 白瀬隆之[1] |
馬主 |
森岡フサヱ →大屋敏郎[1] |
調教師 |
御神本修(益田) →白津壽己(福山) →御神本修(益田)[1] |
競走成績 | |
生涯成績 | 145戦29勝[1] |
獲得賞金 | 1391万6000円[1] |
勝ち鞍 |
益田大賞典(1986年) 日本海特別(1990年) |
ユキノエルザ(1983年5月18日 - 不明)は、日本の競走馬。主な勝ち鞍は1986年の益田大賞典、1990年の日本海特別。主戦騎手は岡崎準。
経歴
[編集]1985年(昭和60年)、デビュー。3歳時は14戦し1着3回2着0回3着1回の成績を収めた。翌年(1986年)には益田競馬所属の4歳馬限定重賞・益田大賞典へ出走。最低人気(7番人気)だったが2着馬をハナ差で制し重賞初制覇。その後は福山競馬場へ移籍するも1989年(平成元年)4月末には益田へ戻り、益田オークス(非重賞)を制した。1990年(平成2年)7月8日、年2回開催の重賞競走・日本海特別へ出走。旧馬齢で8歳になったユキノエルザは5歳馬ミヤシロスズランに4馬身もの差をつけ重賞2勝目を挙げた。12月16日には自身が入厩する御神本修厩舎へ地方競馬通算300勝を届けた。しかし1991年(平成3年)以降白星を挙げることは無くなり、1992年(平成4年)5月9日のアラ系一般での7着を最後に現役を引退。繁殖牝馬へは上がらず、その後の行方は不明。
競走成績
[編集]- 1985年(14戦3勝)
- 1986年(25戦9勝)
- 1987年(13戦3勝)
- 1988年(17戦3勝)
- 1989年(24戦6勝)
- 1990年(18戦5勝)
- 1991年(25戦0勝)
- 1992年(9戦0勝)
血統表
[編集]ユキノエルザの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | 不明 |
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父 アステリツクス Asterix 1974 栗毛 |
父の父 Flipper1968 |
Gosse du Bearn | Djerba Oua | |
Madou | ||||
Fleur d'Avril | Meke | |||
Fedora | ||||
父の母 Alsunia1963 |
Wildsun | Wild Risk | ||
Sunda | ||||
Almee | Thor | |||
Amazone | ||||
母 キヨウワエルザ Kyowa Elsa 1974 黒鹿毛 |
ベルバリー 1966 黒鹿毛 |
Exbury | Le Haar | |
Greensward | ||||
Belle Sicambre | Sicambre | |||
La Perie | ||||
母の母 ミツエイ1966 黒鹿毛 |
モンタヴアル | Norseman | ||
Ballynash | ||||
仁英 | ハロウエー | |||
テツセカンド | ||||
母系(F-No.) | プロポンチス(GB)系(FN:4-d) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | なし | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ