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ユキノエルザ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユキノエルザ
現役期間 1985年 - 1992年[1]
品種 アングロアラブ(アラブ血量25.00%)[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1983年5月18日[1]
死没 不明
抹消日 1993年12月1日[2]
アステリツクス[1]
キヨウワエルザ[1]
母の父 ベルバリー[1]
生国 日本の旗 日本北海道平取町[1]
生産牧場 白瀬隆之[1]
馬主 森岡フサヱ
→大屋敏郎[1]
調教師 御神本修(益田
→白津壽己(福山
→御神本修(益田)[1]
競走成績
生涯成績 145戦29勝[1]
獲得賞金 1391万6000円[1]
勝ち鞍 益田大賞典(1986年)
日本海特別(1990年)
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ユキノエルザ1983年5月18日 - 不明)は、日本競走馬。主な勝ち鞍は1986年益田大賞典1990年日本海特別主戦騎手岡崎準

経歴

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1985年昭和60年)、デビュー。3歳時は14戦し1着3回2着0回3着1回の成績を収めた。翌年(1986年)には益田競馬所属の4歳馬限定重賞・益田大賞典へ出走。最低人気(7番人気)だったが2着馬をハナ差で制し重賞初制覇。その後は福山競馬場へ移籍するも1989年平成元年)4月末には益田へ戻り、益田オークス(非重賞)を制した。1990年(平成2年)7月8日、年2回開催の重賞競走・日本海特別へ出走。旧馬齢で8歳になったユキノエルザは5歳馬ミヤシロスズランに4馬身もの差をつけ重賞2勝目を挙げた。12月16日には自身が入厩する御神本修厩舎へ地方競馬通算300勝を届けた。しかし1991年(平成3年)以降白星を挙げることは無くなり、1992年(平成4年)5月9日のアラ系一般での7着を最後に現役を引退。繁殖牝馬へは上がらず、その後の行方は不明。

競走成績

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  • 1985年(14戦3勝)
  • 1986年(25戦9勝)
  • 1987年(13戦3勝)
  • 1988年(17戦3勝)
  • 1989年(24戦6勝)
  • 1990年(18戦5勝)
  • 1991年(25戦0勝)
  • 1992年(9戦0勝)

血統表

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ユキノエルザ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 不明

アステリツクス
Asterix
1974 栗毛
父の父
Flipper
1968
Gosse du Bearn Djerba Oua
Madou
Fleur d'Avril Meke
Fedora
父の母
Alsunia
1963
Wildsun Wild Risk
Sunda
Almee Thor
Amazone

キヨウワエルザ
Kyowa Elsa
1974 黒鹿毛
ベルバリー
1966 黒鹿毛
Exbury Le Haar
Greensward
Belle Sicambre Sicambre
La Perie
母の母
ミツエイ
1966 黒鹿毛
モンタヴアル Norseman
Ballynash
仁英 ハロウエー
テツセカンド
母系(F-No.) プロポンチス(GB)系(FN:4-d) [§ 2]
5代内の近親交配 なし [§ 3]
出典
  1. ^ [3], [4]
  2. ^ [3], [4]
  3. ^ [3], [4]


脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ユキノエルザ”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2022年9月11日閲覧。
  2. ^ ユキノエルザ 出走履歴”. www2.keiba.go.jp. 2022年9月11日閲覧。
  3. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ユキノエルザ”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2022年9月11日閲覧。
  4. ^ a b c ユキノエルザの血統表”. netkeiba.com. 2023年1月14日閲覧。

外部リンク

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