ユゼフ・メホフェル
ユゼフ・メホフェル | |
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Józef Mehoffer | |
“ユゼフ・メホフェルの肖像” スタニスワフ・ヴィスピャンスキ画、1898年 | |
生誕 |
ユゼフ・エドレル・フォン・メホフェル (Józef Edler von Mehoffer) 1869年3月19日 ポトカルパチェ県ロプツィツェ (Ropczyce) |
死没 |
1946年7月8日 (77歳没) マウォポルスカ県ヴァドヴィツェ (Wadowice) |
墓地 |
ラコヴィツキ墓地 北緯50度4分30秒 東経19度57分7.2秒 / 北緯50.07500度 東経19.952000度 |
国籍 | ポーランド |
出身校 | ヤン・マテイコ美術アカデミー |
著名な実績 | 絵画 |
運動・動向 | ヤング・ポーランド |
ユゼフ・メホフェル (Józef Mehoffer, 1869年3月19日 – 1946年7月8日) は、ポーランドの画家、装飾作家。ヤング・ポーランド運動を牽引した作家であり、当時最も尊敬を集めたポーランド人画家の一人である。
私生活
[編集]1869年、メホフェルはポーランド南東部、ポトカルパチェ県のロプツィツェのオーストリアをルーツに持つ家系に生まれた。彼の父ヴィルヘルム (Wilhelm) は国家裁判所の弁護士であった。
メホフェルはヤドヴィガ・ヤナコフスカ (Jadwiga Janakowska) と結婚し、息子ズビグニェフ (Zbigniew、1900年 – 1985年)をもうけた。1946年7月8日、ポーランド中南部、マウォポルスカ県のヴァドヴィツェにて結核のため亡くなり、クラクフのラコヴィツキ墓地に埋葬された。
彼の死後、その功績を偲んでクルプニツァ通り26番地に “クラクフ・ユゼフ・メホフェル美術館” [注釈 1] が設立された。
作家活動
[編集]メホフェルはクラクフ美術学校にてウワディスワフ・ウシュチキェヴィチ (Władysław Łuszczkiewicz) に師事し、のちにウィーン美術アカデミー [注釈 2]、パリのアカデミー・コラロッシ [注釈 3] などで絵画を学んだ。その他にも、ステンドグラス、テキスタイル、木炭画、銅版画、リトグラフなど、その表現の幅を広げて活動。また、劇場の舞台設計、家具設計なども手掛けている。
また、彼の作家活動のうち重きを占めたのはグラフィックデザインである。アール・ヌーヴォー装飾職人として認められた彼は、本の装丁やオーナメント (装飾品) 、ヴィネット (書籍の飾り挿絵) 、装飾文字、飾り罫、またポスターやロゴ、銀行券のデザインなども手掛けた。
絵画では肖像画を得意とし、自画像および歴史上の人物や衣装に重点を置いた人物画、そして舞踏に焦点を当てた9つの連作を描いた。
メホフェルは、ポーランドの作家協会である “シュトゥカ” (Sztuka) の創設者の一人でもある。カスペル・ポホファルスキ、エルヴィン・チェルヴェンカ、ズジスワフ・アイフレル、ルドヴィク・コナジェフスキ、ヘンリク・ポリフト、アダム・ブンシュ、ヤン・マルチン・シャンセルらが彼の学徒であった。
また、メホフェルの作品はポーランド国内外の教会でも目にすることができる。スイスのフリブールに位置するゴシック様式の聖ニコラ大聖堂 [注釈 4] に収められたステンドグラス作品 (1895年 – 1936年制作) により、彼はその国際的評価を確固たるものとした。
以下は、その他のステンドグラス作品の一部である。
- 1892年 バリツェのラジウィウ教会 [注釈 5]
- 1901年 オパヴァのグラウェル礼拝堂 [注釈 6]
- 1902年 ユトロシン聖エリザベス教会 [注釈 7]
- 1904年 ヴァヴェルの聖十字礼拝堂 [注釈 8]
- 1906年 ゴウフフの納骨堂 [注釈 9]
- 1910年 ウィーンのオーゲルマイスター礼拝堂 [注釈 10]
- 1935年 – 40年 ヴウォツワヴェク大聖堂 [注釈 11]
- 1940年 プシェムィシル大聖堂 [注釈 12]
- 1943年 クラクフ、デンブニキ区の教会
メホフェル作のステンドグラスを擁するトゥレク・イエス聖心教会 [注釈 13] (ヴィエルコポルスカ県中東部) には、同じく彼の描いた壁画が収められている。
メホフェルはそのキャリアを通し、本の装丁、装飾やポスターの制作など多種多様な表現媒体の模索を続けた。また、その斬新な多様さに反して、中世美術を彷彿とさせる古典的なフレスコ画でも知られている。スタニスワフ・ヴィスピャンスキ (Stanisław Wyspiański) 、ヤン・マテイコ (Jan Matejko) とは多くの共同制作を行った。
ギャラリー
[編集]-
“自画像” カンバスに油彩、1898年、ワルシャワ国立美術館蔵
-
“自画像” カンバスに油彩、1897年、ワルシャワ国立美術館蔵
代表作
[編集]- ヤン・マテイコによるクラクフ聖マリア昇天教会 [注釈 14] の彩色 (ポリクローム) の共同制作 (スタニスワフ・ヴィスピャンスキと共に)
- ヴァヴェル城宝物庫 [注釈 15] の彩色 (ポリクローム) (ヤン・タラガと共に)
- リヴィウ・アルメニア教会の天蓋の彩色 (ポリクローム)
- リヴィウ・ラテン大聖堂 (リヴィウ昇天大聖堂バシリカ) のステンドグラス・デザイン
- トゥレクのイエス聖心教会の彩色 (ポリクローム) とステンドグラス・デザイン
- ジラルドゥフ慰めの聖母カトリック教会のステンドグラス・デザイン
- ヴァヴェル大聖堂など、教会のステンドグラス・デザイン多数。スイス、フリブール聖ニコラ大聖堂のステンドグラス・デザインのコンペティション選出
- シュピタルナ通り 13-15番地、クラクフ市貯蓄銀行 [注釈 16] のステンドグラス・デザイン
- 100ズウォティ紙幣デザイン (1932年 – )
- 絵画作品 :
- Plac Pigalle w Paryżu (パリのピガール広場) 、1894年、ポズナン国立美術館
- Wisła pod Niepołomicami、1894年、クラクフ美術家協会
- Autoportret (自画像) 、1897年、クラクフ国立博物館
- Rynek krakowski (クラクフ市場) 、1903年、クラクフ国立博物館
- Dziwny ogród (奇妙な庭) 、1903年、ワルシャワ国立美術館
- Portret żony artysty (芸術家の妻の肖像) 、1904年、クラクフ国立博物館
- Meduza (メデューサ) 、1904年、クラクフ歴史博物館、クラクフ・ヒポリト館
- Portret żony artysty z pegazem (芸術家の妻とペガサスの肖像) 、1913年、ウッチ美術館
- Czerwona parasolka (赤い傘) 、1917年、クラクフ国立博物館 [1]
主な受賞歴
[編集]- 1937年、ポーランド復興勲章 二等 (星付きコマンドルスキ十字勲章) [注釈 17] 芸術分野とポーランドの海外へ対する訴求力向上においての目覚ましい貢献に対して
- 1923年5月2日、ポーランド復興勲章 三等 (コマンドルスキ十字勲章) [注釈 18] [2]
- 1935年、ポーランド文学アカデミー ゴールデンローレル章 [注釈 19] [3]
関連項目
[編集]- ヤン・マテイコ
- ヤン・マテイコ美術アカデミー
- スタニスワフ・ヴィスピャンスキ
- クラクフの文化
- List of Poles
- en:Category:Burials at Rakowicki Cemetery – ラコヴィツキ墓地埋葬者 (英語版)
- en:Category:Golden Laurel of the Polish Academy of Literature – ポーランド文学アカデミー ゴールデンローレル章受章者 (英語版)
- en:Category:Academy of Fine Arts Vienna alumni – ウィーン美術アカデミー卒業生 (英語版)
- en:Category:Académie Colarossi alumni – アカデミー・コラロッシ卒業生 (英語版)
脚注・出典
[編集]- 脚注
- ^ 波: Dom Józefa Mehoffera ドム・ヨゼファ・メホフェラ
- ^ 独: Akademie der bildenden Künste Wien アカデミ・デア・ビンデンデン・クンスト・ヴィーン
- ^ 仏: Académie Colarossi
- ^ 独: Kathedrale St. Nikolaus カテドラーレ・ザンクト・ニコラウス
- ^ 英: Radziwił Chapel in Balice
- ^ 英: Grauer Chapel in Opava
- ^ 波: Kościół św. Elżbiety w Jutrosinie コシュチョウ・シュヴィェンテ・エルジュビェティ・フ・ユトゥロシニェ
- ^ 波: Kaplica Świętokrzyska na Wawelu カプリツァ・シュヴィェントクシスカ・ナ・ヴァヴェウ
- ^ 英: sepulchral chapel in Goluchów
- ^ 独: Orgelmeister-Kapelle in Wien
- ^ 波: Bazylika katedralna Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny we Włocławku バジリカ・カテドゥラウナ・ヴニェボフジェンチャ・ナイシュヴィエンチェイ・マリイ・パンヌィ・ヴェ・ヴォツワフク、ヴロツワヴェクの聖母マリア昇天大聖堂バシリカ
- ^ 波: Bazylika archikatedralna Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny i św. Jana Chrzciciela w Przemyślu バジリカ・アルヒカテドゥラウナ・ヴニェボフジェンチャ・ナイシュヴィエンチェイ・マリイ・パンヌィ・イ・シュフィェンテ・ヤナ・フシチチェラ・フ・プシェミシュル、プシェムィシルの聖母マリアおよび洗礼者聖ヨハネ大聖堂バシリカ
- ^ 波: Kościół Najświętszego Serca Pana Jezusa w Turku コシュチュウ・ナイシュヴィエンチェゴ・セルツァ・パナ・イェズサ・フ・トゥルク
- ^ 波: Kościół archiprezbiterialny pw. Wniebowzięcia Najświętszej Marii Panny w Krakowie コシュチョウ・アルヒプレズビテリアウヌィ・ポドヴァズ・ヴニェボヴジェンチャ・ナイシュフィエンチェイ・マリイ・パンヌィ・フ・クラコヴィエ
- ^ 波: wawelskiego ヴァヴェルスキェゴ
- ^ 波: Budynek Komunalnej Kasy Oszczędności Miasta Krakowa ブドゥネク・コムナルネイ・カシ・オシュチェンドゥノシュチ・ミァスタ・クラコヴァ
- ^ 波: Krzyż Komandorski z Gwiazdą Orderu Odrodzenia Polski クシュシュ・コマンドルスキ・ズ・グヴャズドン・オルデル・オドロゼニァ・ポルスキ
- ^ 波: Krzyż Komandorski Orderu Odrodzenia Polski クシュシュ・コマンドルスキ・オルデル・オドロゼニァ・ポルスキ
- ^ 波: Złoty Wawrzyn Akademicki Polskiej Akademii Literatury ズウォティ・ヴァヴジュン、アカデミツキ・ポルスキェ・アカデミ・リテラトゥリ
- 出典
- ^ Łukasz Gazur (2011年2月19日). “Pod czerwoną parasolką”. 2011年2月24日閲覧。
- ^ Order Odrodzenia Polski. Trzechlecie pierwszej kapituły 1921–1924. Warszawa. (1926). p. 19
- ^ Rocznik Polskiej Akademii Literatury, ワルシャワ 1937年, p. 255.