ユリア・ハルトヴィク
Julia Hartwig-Międzyrzecka | |
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肖像(2009年) | |
誕生 |
ユリア・ハルトウィザンカ ポーランド語: Julia Hartwiżanka 1921年8月14日(103歳) ルブリン |
死没 |
2017年7月13日(95歳没) ゴールズボロ (ペンシルベニア州) |
墓地 | ポワンツキ墓地(ポワンツコウスカ通り14番地) |
職業 | 文筆家、劇作家、翻訳者、外交官 |
言語 | ポーランド語、フランス語、英語 |
国籍 | ポーランド |
ジャンル | フィクション |
主題 | ポーランド現代文学 |
主な受賞歴 |
Template:Order Template:Order Template:Order Template:Order Template:Order ポーランド・ペンクラブ賞外国文学翻訳賞 |
ユリア・ハルトヴィク(ポーランド語: Julia Hartwig-Międzyrzecka[1]ユリア・ハルトウィザンカ(ポーランド語: Julia Hartwiżanka)[注釈 1], 1921年8月14日 - 2017年7月14日[2])はポーランドの女流詩人、エッセイストで劇作家、翻訳者で外交官。多数の著作で知られ、ポーランドで最も人気のある作家の一人である。翻訳作はフランス語と英語のフィクションであり、1963年以来ポーランド・ペンクラブの会員。
生涯
[編集]父ルドヴィク・ハルトヴィクと母マリア(旧姓ビリュコヴァ)との間にルブリンで生まれる。第二次世界大戦の間はポーランド国内軍(AK)に所属してナチス・ドイツに対する抵抗運動を行い、主に文芸[要曖昧さ回避]方面で活躍。1942年からワルシャワ大学の地下秘密授業に通って勉学を続け、1944年のワルシャワ蜂起後に一旦中断したのち、戦後の1946年にワルシャワ大学を卒業、その後ルブリンのカトリック大学に社会人入学をし卒業。1947年にパリに渡り、フランス政府とポーランド大使館文化部で働いた。のちワルシャワに戻り、1952年から1969年までポーランド国営ラジオ局の放送作家としてラジオドラマを中心に多数の作品を製作、国民的人気を獲得する。
1970年から1974年にかけて夫アルトゥール・ミェンジジェツキと共にアメリカに居住、ドレイク大学で教鞭をとる。1971年にはカナダのオタワ大学、73年にはカールトン大学でも講義を行った。1979年にはアメリカ国務省の招きで再度アメリカに居住。
1989年、ワレサ大統領の諮問機関「市民委員会」のメンバーに就く。
著作は世界各国で翻訳出版されている。晩年はワルシャワに居住。
主な著作
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
主な翻訳
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
主な監修および序文
[編集]- Otto Axer(序文、Wydawnictwo Artystyczne i Filmowe刊、1978年)
- Edward Hartwig 著 Tematy fotograficzne (序文、Wydawnictwo Artystyczne i Filmowe刊、1978年)
- Romain Rolland 著 Colas Breugnon: żyje jeszcze człowiek poczciwy. Franciszek Mirandola 翻訳(監修、仮題『コラス・ブルニョン : 正直な人はまだ生きている』原文はフランス語。National Publishing Institute刊、1983年、改版1987年、 ISBN 83-06-00994-0。改版改題、Wydawnictwo Dolnośląskie刊、1993年、ISBN 83-7023-229-9)
- Edward Hartwig 著 Wierzby (序文。Sport i Turystyka刊、1989年)
- Edward Hartwig 著 Lublin i okolice: wspomnienie (序文。Wydawnictwo Uniwersytetu Marii Curie-Skłodowskiej刊、1997年)ISBN 83-227-0938-2
- Edward Hartwig 著 Mój Kazimierz (序文。Wydawnictwo Uniwersytetu Marii Curie-Skłodowskiej刊、1998年)ISBN 83-227-1193-X
- Arthur Rimbaud 著 Sezon w piekle; Iluminacje. Artur Międzyrzecki 訳(序文。 Prószyński i S-ka刊、1998年、1999年)ISBN 83-7180-802-X
- Jan Sochoń, Zdania, przecinki, kropki... (あとがき。W Drodze刊、1998年)ISBN 83-7033-322-2)
- Lenta Główczewska, Nowy Jork: kartki z metropolii 1983-2002 (序文。 Fundacja Zeszytów Literackich刊、 2004年)ISBN 83-917979-6-1
その他の受賞、栄誉
[編集]- ZaiKS賞(1976年)
- ドーヴィリエ財団「翻訳賞」(フランス、1978年)
- ポーランドペンクラブ賞(1979年、1997年)
- ユジコウスキー文学賞(アメリカ合衆国、1981年)
- ソーントン・ワイルダー賞(ウィキデータ)(アメリカ合衆国、1986年)
- ゲオルグ・トラクル賞(オーストリア、1991年)
- 文化大臣表彰、生涯功労者(2001年)
- ヴワディスワフとネラ・トゥルザンスキ財団賞(2004年)
- ヴワディスワフ・レイモント文学賞(2006年)[3]
- 文化財団大賞
- ヤン・パランドフスキ賞(ポーランド・ペンクラブ、2009年)[4]
- ニケ文学賞(ポーランド)の候補作6回[5][注釈 2]
- K・I・ガルチンスキ詩賞の候補作2回 – 「Orfeusz」(オルフェウス)(2012年[6]ならびに2014年[7])
- 「ライフズワーク」第12回ノーウィド賞で生涯功績賞(2013年)
- ヴィスワワ・シンボルスカ詩賞 - 大賞(2014年)
- ミンスク・マゾヴィエツキ市立図書館「文学スター横丁・文学スター」に出演(2014年)[8]
記念碑ほか
[編集]クラクフのカフェ「ノヴァ・プロヴィンツィア」(新しい国家)の入り口には2014年3月以来、通称〔詩のインターフォン〕が設置され、詩人が自作を朗読した録音を再生できる[9][10][11]。
作家の旧宅は2021年から一般公開されている。所在地、マルシャウコフスカ通り(ワルシャワ)68/70番地(I・スコルプキ通り近辺の側道)[12]。
ハルトウィクに献名
[編集]- 2005年:「Nie idźmy spać」(仮訳:眠らないように)Grzegorz Turnau 『11:11』 グジェゴシュ・トゥナウのアルバムより、歌詞に献名。
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Julia Hartwig-Międzyrzecka, Warszawa, 07.09.2017 – nekrolog” (ポーランド語). Więcej Wyborcza(ガゼッタ・ヴィボルツァ). オリジナルの2022年9月26日時点におけるアーカイブ。 2019年10月29日閲覧. "愛する母、詩人のユリア・ハルトヴィク=ミエンジルツェカは2017年7月13日に95歳で死去。シャルル・ボロメオ聖教会で葬儀ミサの執行、2017年9月13日午後1時。その後、ポワンツキ墓地の家族のお墓まで散歩(ポワンツコウスカ通り14番地)。告知者:ダニエレとキース・レティネン夫妻、娘と義息。"
- ^ “Julia Hartwig nie żyje. Odeszła jedna z najwybitniejszych polskich poetek [「訃報ジュリア・ハルトヴィク。ポーランドの最も優れた詩人の一人亡くなる”] (ポーランド語). gazeta.pl (Agora S.A.). (2017年7月15日) 2017年8月1日閲覧。
- ^ Związek Rzemiosła Polskiego. “Laureaci Nagrody Literackiej im. Władysława Reymonta w latach 1994–2009” (ポーランド語). 2014年9月12日閲覧。
- ^ ポーランド・ペンクラブ 2019, ヤン・パランドフスキー献名賞、過去の受賞者一覧
- ^ a b “Nagroda Nike – nominacje Julii Hartwig [ニケ賞 – ユリア・ハルトヴィクがノミネート]” (ポーランド語). nike.org.pl. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Orfeusz – Nagroda Poetycka im. K. I. Gałczyńskiego – nominowani [「オルフェウス」 – K・I・ガルチンスキ詩賞 – 候補作]” (ポーランド語). www.orfeusz-nagroda.pl. 2015年7月4日閲覧。
- ^ “Orfeusz – Nagroda Poetycka im. K. I. Gałczyńskiego – nominowani [「オルフェウス」 – K・I・ガルチンスキ詩賞 – 候補作]” (ポーランド語). www.orfeusz-nagroda.pl. 2015年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月4日閲覧。
- ^ “Gwiazd-literatury/80-inauguracja-alei-gwiazd-literatury Alei Gwiazd Literatury [文学スター横丁・文学スター]”. 2015年7月4日閲覧。
- ^ “Domofon poezji [ドモフォンの詩]”. miastoliteratury.pl. 2021年5月17日閲覧。
- ^ Łukasz Gazur (2014年3月18日). “Przywitaj się przez domofon z wierszem [インターホン越しに詩で挨拶]”. Dziennik Polski. 2021年5月17日閲覧。
- ^ Kudas, Sebastian (2014年3月17日). “Bronisław Maj z Domofonem poezji [ブロニスワフ・マジと詩のドモモネ]”. YouTube. 2019年2月5日閲覧。
- ^ “Odsłonięcie tablicy upamiętniającej Julię Hartwig [ジュリア・ハートウィッグを記念する盾の除幕式]” (ポーランド語). um.warszawa.pl. Urząd m.st. Warszawy [ワルシャワ首都庁] (2021年9月15日). 2023年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月22日閲覧。
参考文献
[編集]- “Nagroda im. Jana Parandowskiego. Dotychczasowi laureaci” [ヤン・パランドフスキーに献名した賞、過去の受賞者]. Penclub [ポーランド・ペンクラブ]. 2019年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月18日閲覧。