ユーリイ・リャプキン
表示
(ユーリ・リャプキンから転送)
ユーリイ・リャプキン | |
---|---|
生誕 出生地 |
1945年1月21日(79歳) ソビエト連邦バラシハ |
ポジション | ディフェンス |
所属したチーム | ヒミク・ヴォスクレセンスク HCスパルタク・モスクワ 王子製紙アイスホッケー部 |
代表 | ソビエト連邦 |
プロ選手期間 | 1964年 – 1982年 |
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子アイスホッケー | ||
ソビエト連邦 | ||
オリンピック | ||
金 | 1976 | |
アイスホッケー世界選手権 | ||
金 | 1971 | |
銀 | 1972 | |
金 | 1973 | |
金 | 1974 | |
金 | 1975 | |
銀 | 1976 |
ユーリイ・エヴゲニエヴィチ・リャプキン(ロシア語: Ю́рий Евге́ньевич Ля́пкин, ラテン文字転写: Yuri Evgenievich Lyapkin、1945年1月21日 - )は、ソビエト連邦のアイスホッケー選手、アイスホッケー指導者。
経歴
[編集]ヒミク・ヴォスクレセンスクから1972年にHCスパルタク・モスクワに移籍、1976年にはソビエト選手権優勝を果たした。
国際試合には1968年のカナダ代表とのエキシビションから1976年12月のイズベスチヤ杯128試合出場し18ゴールをあげた[1]。この間、1972年、NHLに所属するカナダ人選手(当時オリンピックにプロ選手は出場できなかった。)とのサミット・シリーズ、1974年のWHA選手とのサミット・シリーズに出場[2]、1976年のインスブルックオリンピックでは金メダルを獲得した[3]。
日本アイスホッケーリーグの王子製紙アイスホッケー部(後の王子イーグルス)でも1979-80年シーズンから1983-84年シーズンまでの4シーズン選手兼任コーチとしてプレイした[4]。
参考文献
[編集]- アイスホッケーマガジン
脚注
[編集]- ^ “CCCP PLAYERS”. chidlovski.net. 2011年8月14日閲覧。
- ^ “THE RISE AND FALL OF THE LEGENDARY HOCKEY CLUB VOSKRESENSK KHIMIK”. hockeyzoneplus.com (1999年12月1日). 2011年8月14日閲覧。
- ^ “Super Series evokes memories of 1972”. ESPN (2007年9月5日). 2011年8月14日閲覧。
- ^ 『第36回日本アイスホッケーリーグ観戦ガイド』pp.224 - 225 日本アイスホッケー連盟 2001年11月2日
外部リンク
[編集]- The Internet Hockey Database
- ユーリイ・リャプキン - Olympedia