ヨシップ・ラチッチ
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ヨシップ・ラチッチ Josip Račić | |
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自画像 | |
生誕 |
1885年3月22日 クロアチア、ザグレブ郡 |
死没 |
1908年6月19日 (23歳没) フランス、パリ |
ヨシップ・ラチッチ(Josip Račić、1885年3月22日 - 1908年6月19日)は、クロアチアの画家である。ミュンヘン、パリなどで修行し、クロアチアの近代美術のパイオニアの一人となったが、23歳でパリで自殺した。
略歴
[編集]現在のクロアチア、ザグレブ郡に生まれた。ザグレブで教育を受け、ザグレブの版画家の弟子になった[1] 。1904年にミュンヘンに絵の修行に出て、スロベニア出身の画家アントン・アズベが運営する私立の美術学校で学んだ。1905年春にベルリンを訪れ、数か月滞在し版画を学んだ。1905年10月にミュンヘン美術院に入学し、ヨハン・カスパー・ヘルテリッヒの学生となった。ヘルテリッヒはその年亡くなったのでフーゴー・フォン・ハーベルマンの学生になった。 オスカル・ヘルマン(Oskar Herman: 1886–1974)、ウラジミール・ベチッチ(Vladimir Becić: 1886–1954)、ミロスラフ・クラリェヴィッチ(1885–1913)といったクロアチア出身の画家たちと活動した [1] 。 1908年2月にパリに移り、ルーヴル美術館の作品を模写して修行し、パリではポール・ゴーギャンらの「クロワゾニスム」の影響を受けた[2]。公園やカフェの情景や肖像画、自画像などを描いた。
1908年6月20日にパリのホテルの部屋で死体で発見された。銃で自殺したと考えられているが、自殺の原因は知られていない。
作品
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母と子 (1908)
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ヌード
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カフェで
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大通りのカフェ
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リュクサンブール公園 (1907)
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エトワール広場