ヨハネス・クシフィリヌス
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ヨハネス・クシフィリヌス(ギリシア語: Ἰωάννης Ξιφιλῖνος)は、11世紀後半のコンスタンティノープルに住む修道士。カッシウス・ディオの『ローマ史』要約の作者として知られる。説教者でもあるコンスタンティノープル総主教イオアンニス8世の甥[1]。
『ローマ史』の要約はミカエル7世ドゥーカス(在位:1071年 - 1078年)の命令で作成されたものだったが、未完成に終わった[1]。要約は『ローマ史』の第36巻から第80巻までで構成され、グナエウス・ポンペイウスとガイウス・ユリウス・カエサルの時代からアレクサンデル・セウェルスの時代まで含まれている[1]。しかし、要約では第70巻においてアントニヌス・ピウスの治世とマルクス・アウレリウス・アントニヌスの治世初期がなく、第78巻と第79巻では改ざんされた写本が使用された[1]。クシフィリヌスは要約を皇帝の治世ごとに節分けした[1]。彼は執政官の名前を省略し、一部では元の記述を変えた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 887.