ヨハネス4世ラスカリス
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ヨハネス4世ラスカリス Ιωάννης Δ' Λάσκαρης Iōannēs IV Laskarēs | |
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ニカイア皇帝 | |
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在位 | 1258年8月18日 - 1261年12月25日 |
出生 |
1250年12月25日 |
死去 |
1305年 |
王朝 | ラスカリス朝 |
父親 | テオドロス2世 |
母親 | エレナ(イヴァン・アセン2世娘) |
ヨハネス4世ラスカリス(ギリシア語:Ιωάννης Δ' Λάσκαρης (Iōannēs IV Laskarēs)、1250年12月25日 - 1305年[1])は、ニカイア帝国の最後の皇帝(1258年8月18日 - 1261年12月25日)。
生涯
[編集]1258年に父帝テオドロス2世が崩御すると、わずか8歳にして帝位に就くが、摂政ミカエル・パレオロゴスに実権を奪われた上に、翌1259年には共同皇帝の座に就かれた。
1261年にミカエルがコンスタンティノポリス奪回を果たして、ローマ皇帝を宣言すると、やがてヨハネスは目を潰されてマルマラ海の城郭に幽閉された。
1290年にミカエルの長男アンドロニコス・パレオロゴスを皇帝として承認したと記録されている。