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ヨハン・エルンスト3世 (ザクセン=ヴァイマル公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン・エルンスト3世
Johann Ernst III.
ザクセン=ヴァイマル
在位 1683年 - 1707年

出生 (1664-06-22) 1664年6月22日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル
死去 (1707-05-10) 1707年5月10日(42歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル
配偶者 ゾフィー・アウグステ・フォン・アンハルト=ツェルプスト
  シャルロッテ・フォン・ヘッセン=ホンブルク
子女 本文参照
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=ヴァイマルヨハン・エルンスト2世
母親 クリスティーネ・エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
宗教 キリスト教ルター派
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ヨハン・エルンスト3世の棺(後方)

ヨハン・エルンスト3世ドイツ語:Johann Ernst III., 1664年6月22日 - 1707年5月10日)は、ザクセン=ヴァイマル公(在位:1683年 - 1707年)。

生涯

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ヨハン・エルンスト3世はザクセン=ヴァイマルヨハン・エルンスト2世と、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ヨハン・クリスティアンの娘クリスティーネ・エリーザベトの間に次男として生まれた。兄ヴィルヘルム・エルンストとともに1676年にイェーナ大学に入学した。父の死後、ヨハン・エルンストは公爵となったが、ヴァイマルではまだ長子相続制が導入されていなかったため、兄と共同統治を行った。兄弟は父の死の時にはまだ未成年であったが、父ヨハン・エルンスト2世は遺言で息子らは成年に達していると宣言し、皇帝もこれに同意していた。

ヨハン・エルンスト3世はアルコール依存症であり、政治にはほとんど関心がなかった。このため兄ヴィルヘルム・エルンスト1世はヨハン・エルンストを比較的早くから政治から遠ざけることができた。公式には亡くなるまで公爵の地位にあったが、政治に対し影響力を事実上ほとんど持っていなかった。収入に関し兄弟間で対立があったものの、ヨハン・エルンストは兄にこの特権を譲り、後年は兄とより緊密な関係を築いた。

ヨハン・エルンストは主にヴァイマルの赤城で隠遁生活を送っていた。1707年に死去し、ヴァイマルの城内教会に埋葬されたが、棺は後にヴァイマルの公家の霊廟に移された。

子女

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1685年10月11日にアンハルト=ツェルプスト侯ヨハン6世の娘ゾフィー・アウグステ(1663年 - 1694年)と結婚し、以下の子女をもうけた。

  • ヨハン・ヴィルヘルム(1686年)
  • エルンスト・アウグスト1世(1688年 - 1748年) - ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公
  • エレオノーレ・クリスティアーネ(1689年 - 1690年)
  • ヨハンナ・アウグステ(1690年 - 1691年)
  • ヨハンナ・シャルロッテ(1693年 - 1751年)

1694年11月4日にヘッセン=ホンブルクフリードリヒ2世の娘シャルロッテ・ドロテア・ゾフィー(1672年 - 1738年)と結婚し、以下の子女をもうけた。

  • カール・フリードリヒ(1695年 - 1696年)
  • ヨハン・エルンスト4世(1696年 - 1715年) - ザクセン=ヴァイマル公
  • マリー・ルイーゼ(1697年 - 1704年)
  • クリスティアーネ・ゾフィー(1700年 - 1701年)

参考文献

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  • Ernst Wülcker (1881). "Johann Ernst IX". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 14. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 362–364.
  • Karl Helmrich: Geschichte des Grossherzogthums Sachsen-Weimar-Eisenach, Weimar 1852, S. 106 (Digitalisat)
先代
ヨハン・エルンスト2世
ザクセン=ヴァイマル
1683年 - 1707年
ヴィルヘルム・エルンストと共治)
次代
ヴィルヘルム・エルンスト
エルンスト・アウグスト1世