ヨハン・エルンスト3世 (ザクセン=ヴァイマル公)
ヨハン・エルンスト3世 Johann Ernst III. | |
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ザクセン=ヴァイマル公 | |
在位 | 1683年 - 1707年 |
出生 |
1664年6月22日 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル |
死去 |
1707年5月10日(42歳没) 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル |
配偶者 | ゾフィー・アウグステ・フォン・アンハルト=ツェルプスト |
シャルロッテ・フォン・ヘッセン=ホンブルク | |
子女 | 本文参照 |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=ヴァイマル公ヨハン・エルンスト2世 |
母親 | クリスティーネ・エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク |
宗教 | キリスト教ルター派 |
ヨハン・エルンスト3世(ドイツ語:Johann Ernst III., 1664年6月22日 - 1707年5月10日)は、ザクセン=ヴァイマル公(在位:1683年 - 1707年)。
生涯
[編集]ヨハン・エルンスト3世はザクセン=ヴァイマル公ヨハン・エルンスト2世と、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ヨハン・クリスティアンの娘クリスティーネ・エリーザベトの間に次男として生まれた。兄ヴィルヘルム・エルンストとともに1676年にイェーナ大学に入学した。父の死後、ヨハン・エルンストは公爵となったが、ヴァイマルではまだ長子相続制が導入されていなかったため、兄と共同統治を行った。兄弟は父の死の時にはまだ未成年であったが、父ヨハン・エルンスト2世は遺言で息子らは成年に達していると宣言し、皇帝もこれに同意していた。
ヨハン・エルンスト3世はアルコール依存症であり、政治にはほとんど関心がなかった。このため兄ヴィルヘルム・エルンスト1世はヨハン・エルンストを比較的早くから政治から遠ざけることができた。公式には亡くなるまで公爵の地位にあったが、政治に対し影響力を事実上ほとんど持っていなかった。収入に関し兄弟間で対立があったものの、ヨハン・エルンストは兄にこの特権を譲り、後年は兄とより緊密な関係を築いた。
ヨハン・エルンストは主にヴァイマルの赤城で隠遁生活を送っていた。1707年に死去し、ヴァイマルの城内教会に埋葬されたが、棺は後にヴァイマルの公家の霊廟に移された。
子女
[編集]1685年10月11日にアンハルト=ツェルプスト侯ヨハン6世の娘ゾフィー・アウグステ(1663年 - 1694年)と結婚し、以下の子女をもうけた。
- ヨハン・ヴィルヘルム(1686年)
- エルンスト・アウグスト1世(1688年 - 1748年) - ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公
- エレオノーレ・クリスティアーネ(1689年 - 1690年)
- ヨハンナ・アウグステ(1690年 - 1691年)
- ヨハンナ・シャルロッテ(1693年 - 1751年)
1694年11月4日にヘッセン=ホンブルク伯フリードリヒ2世の娘シャルロッテ・ドロテア・ゾフィー(1672年 - 1738年)と結婚し、以下の子女をもうけた。
- カール・フリードリヒ(1695年 - 1696年)
- ヨハン・エルンスト4世(1696年 - 1715年) - ザクセン=ヴァイマル公
- マリー・ルイーゼ(1697年 - 1704年)
- クリスティアーネ・ゾフィー(1700年 - 1701年)
参考文献
[編集]- Ernst Wülcker (1881). "Johann Ernst IX". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 14. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 362–364.
- Karl Helmrich: Geschichte des Grossherzogthums Sachsen-Weimar-Eisenach, Weimar 1852, S. 106 (Digitalisat)
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