コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヨハン・ジギスムント・クッサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヨハン・ジギスムント・クッサー(Johann Sigismund Kusser, 1660年2月13日 - 1727年11月)は、アイルランドで活動したドイツ作曲家

生涯

[編集]

プレスブルク(現在のスロバキアブラチスラヴァ)でプロテスタント教会のカントルの息子として生まれた。1674年に一家はシュトゥットガルトに移住した。その二年後からパリヴェルサイユで6年間過ごした。その間、ジャン=バティスト・リュリに出会い、フランス様式の音楽を学んだ。その後、バーデン=バーデンアンスバッハの宮廷楽団で働いた。

1690年からブラウンシュヴァイク歌劇場楽長を務めた。ブラウンシュヴァイクではイタリア様式の8つのオペラ作曲した。1694年、台本作家との意見の相違からハンブルクの歌劇場へ移った。しかし1695年末にはハンブルクを離れ、ニュルンベルクアウクスブルクで活動した。1699年よりヴュルテンベルク公エーバーハルト・ルートヴィヒに仕え、翌年に宮廷楽長に就任した。

1704年にはロンドンに渡り、民間の音楽教師として活動した。1707年からダブリンに移り住み、1711年からトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)の楽長となった。

現在では彼の作品は演奏される機会が少ないが、ラインハルト・カイザーヨハン・マッテゾンゲオルク・フィリップ・テレマンクリストフ・グラウプナーゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルらのちの世代に影響を与えた。

作品

[編集]

器楽曲

[編集]
  • 3つの管弦楽組曲集(1700)

オペラ

[編集]
  • クレオパトラ(1690)
  • ジュリア(1690)
  • ナルシッスス(1692)
  • アンドロメダ(1692)
  • アリアドネ(1692)
  • 寛大なスキピオ・アフリカヌス(1694)

文献

[編集]
  • Arrey von Dommer (1876). "Kusser, Johann Sigismund". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 4. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 535–537.
  • Horst-Rüdiger Jarck (Hrsg.): Braunschweigisches Biographisches Lexikon. 8. bis 18. Jahrhundert, Braunschweig 2006, ISBN 3-937664-46-7, S. 421.
  • Johann Georg Walther (1732) Musicalisches Lexicon, Leipzig, S. 189.
  • Klaus Zelm: Kusser, Johann Sigismund. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 13, Duncker & Humblot, Berlin 1982, ISBN 3-428-00194-X, S. 342 f. (電子テキスト版).

外部リンク

[編集]