ヨハン・ピンゼル
ヨハン・ピンゼル | |
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Іоа́н Гео́ргій Пі́нзель | |
生誕 | 1707年頃? |
死没 | 1761年? |
著名な実績 | 彫刻 |
ヨハン・ゲオルク・ピンゼル(ドイツ語: Johann Georg Pinzel、ポーランド語: Jan Jerzy Pinzel、ウクライナ語: Іван Георгій Пінзель、1707年頃? - 1761年?)は、18世紀半ばに現在のウクライナ西部で活動した彫刻家である。
概要
[編集]1740年代よりポーランド・リトアニア共和国の東端(現ウクライナ西部)のポジーリャ地方で彫刻の制作を開始。大貴族ミコワイ B. ポトツキ(pl:Mikołaj Bazyli Potocki)の依頼を受け、リヴィウやブチャチ(uk:Бучач)で教会の祭壇彫刻を多数製作した。弟子も育て、"ピンゼル派"もうまれたという。リヴィウバロックの代表的彫刻家で、他に類を見ない独自の木彫芸術を残しており、キュビスム的、あるいは日本の運慶のようだとの評価がある。近年研究が進められているものの未解明の部分が多い。1761年に没したと推定されているが、詳細は不明である。
1960年代半ば、リヴィウ美術ギャラリー館長を務める美術史家ボリス・ヴォズニツキ(uk:Возницький Борис Григорович)によって、当時歴史と政治に埋もれかけたピンゼルは発見された。ソビエト連邦体制の宗教政策のもとで、彼は危険を冒し私財を投じて作品を収集・修復してきた。[1]
日本では2010年9月に片山ふえ『オリガと巨匠たち――私のウクライナ紀行』(未知谷)で初めて紹介された[2]のち、2011年10月10日放映の日本放送協会『極上美の饗宴』でとりあげられ[3]翌11月には作品集『ピンゼル』が未知谷より公刊された[4]。
作品集
[編集]ヨハン・ゲオルク・ピンゼル/ボリス・ヴォズニツキ編・解説/加藤有子訳/水沢勉序文『ピンゼル』未知谷 ISBN 978-4-89642-357-0
脚注
[編集]- ^ ヨハン・ゲオルク・ピンゼル 著、加藤有子 訳、ボリス・ヴォズニツキ 編『ピンゼル』未知谷。ISBN 978-4-89642-357-0。
- ^ 片山ふえ『オリガと巨匠たち――私のウクライナ紀行』未知谷、2010年9月。ISBN 978-4-89642-313-6。
- ^ 「激情ほとばしる像の秘密 ウクライナ・祈りの彫刻は語る」
- ^ 紀伊國屋BookWebボリス・ヴォズニツキ【編・解説】、タチアナ・ディティナ【英語訳】、加藤有子【日本語訳】『ピンゼル』原書名:The Works of Johann Georg Pinzel 、未知谷、2011年11月、ISBN 9784896423570