コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヨハン7世 (ナッサウ=ジーゲン伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン7世から転送)
ヨハン7世
Johann VII.
ナッサウ=ジーゲン伯
在位 1607年 - 1623年

出生 (1561-06-07) 1561年6月7日
死去 (1623-09-27) 1623年9月27日(62歳没)
配偶者 マグダレーナ・フォン・ヴァルデック
  マルガレーテ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
子女 一覧参照
家名 オラニエ=ナッサウ家
父親 ナッサウ=ディレンブルク伯ヨハン6世
母親 エリーザベト・フォン・ロイヒテンベルク
テンプレートを表示

ヨハン7世(Johann VII., 1561年6月7日 - 1623年9月27日)は、ナッサウ=ジーゲン伯およびフロイデンベルク伯。オラニエ公ウィレム1世の弟ナッサウ=ディレンブルク伯ヨハン6世と最初の妻エリーザベト・フォン・ロイヒテンベルクの次男。オランダではヤン・デ・ミッデルステ(Jan de Middelste)と呼ばれる。

従弟であるオラニエ公マウリッツに協力して、オランダ共和国軍に近代的な軍事教練を行った。軍事理論家であり、またジーゲンにヨーロッパで最初の士官学校を設けたことでも知られる。1620年にヨハン7世はスウェーデングスタフ2世アドルフの訪問を受けている。ヨハン7世はグスタフ・アドルフに軍事理論の指南を行い実践させた。彼の軍事理論は、オランダの軍事改革と共にドイツやスウェーデンに浸透させたと言える。

子女

[編集]

1581年ヴァルデック伯フィリップ4世の娘マグダレーナ(1558年 - 1599年)と結婚し、12子を儲けた。

  1. ヨハン・エルンスト(1582年 - 1617年)
  2. ヨハン8世(1583年 - 1638年) - ナッサウ=ジーゲン伯
  3. エリーザベト(1584年 - 1661年) - ヴァルデック伯クリスティアンと結婚
  4. アドルフ(1586年 - 1608年)
  5. ユリアーネ(1587年 - 1643年) - ヘッセン=カッセル方伯モーリッツと結婚
  6. アンナ・マリア(1589年 - 1620年) - ダウン=ファルケンシュタイン伯ヨハン・アドルフと結婚
  7. ヨハン・アルブレヒト(1590年)
  8. ヴィルヘルム(1592年 - 1642年) - ナッサウ=ヒルヒェンバッハ伯
  9. アンナ(1594年 - 1636年) - ブレデローデ伯ヨハン・ヴォルフェルトと結婚
  10. フリードリヒ・ルートヴィヒ(1595年 - 1600年)
  11. マグダレーナ(1596年 - 1662年) - ベルンハルト・モーリッツ・フォン・エーンハウゼンと結婚、フィリップ・ヴィルヘルム・フォン・インハイゼン・クニプハウゼンと再婚
  12. ヨハン・フリードリヒ(1597年)

1603年にゾンダーブルク公ヨハンデンマーククリスチャン3世の三男)の娘マルガレータと結婚し、13子を儲けた。

  1. ヨハン・マウリッツ(1604年 - 1679年) - ナッサウ=ジーゲン侯
  2. ゲオルク・フレデリック・ルートヴィヒ(1606年 - 1674年) - ナッサウ=ジーゲン伯、ナッサウ=ジーゲン侯
  3. ヴィルヘルム・オットー(1607年 - 1641年)
  4. ルイーゼ・クリスティーネ(1608年 - 1678年) - コンフラン侯フィリップと結婚
  5. ゾフィー・マルガレーテ(1610年 - 1665年) - リンブルフ・シュティルム伯ゲオルク・エルンストと結婚
  6. ハインリヒ(1611年 - 1652年)
  7. マリア・ユリアーネ(1612年 - 1665年) - フランツ・ハインリヒ・フォン・ザクセン=ラウエンブルクと結婚
  8. アマーリエ(1613年 - 1669年) - ヘルマン・ウランゲルと結婚、プファルツ=ズルツバッハ公クリスティアン・アウグストと再婚
  9. ベルンハルト(1614年 - 1617年)
  10. クリスティアン(1616年 - 1644年)
  11. カタリーナ(1617年 - 1645年)
  12. ヨハン・エルンスト(1618年 - 1639年)
  13. エリーザベト・ユリアーネ(1620年 - 1665年) - ザイン=ヴィトゲンシュタイン伯ベルンハルトと結婚