ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)
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ヨハン6世 Johann VI. | |
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ナッサウ=ディレンブルク伯 | |
在位 | 1559年 - 1606年 |
出生 |
1536年11月22日 ディレンブルク |
死去 |
1606年10月8日(69歳没) ディレンブルク |
配偶者 | エリーザベト・フォン・ロイヒテンベルク |
クニグンデ・ヤコバ・フォン・ジンメルン | |
ヨハンネッタ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | オラニエ=ナッサウ家 |
父親 | ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルム1世 |
母親 | ユリアーナ・ツー・シュトルベルク |
役職 | ヘルダーラント州総督(1578年 - 1581年) |
宗教 | キリスト教カルヴァン派 |
ヨハン6世(Johann VI., 1536年11月22日 - 1606年10月8日)はナッサウ=ディレンブルク伯。ナッサウ家の一族で、オラニエ=ナッサウ家の祖であるオラニエ公ウィレム1世の弟。ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルム1世とその妻ユリアーナ・ツー・シュトルベルクの間の次男。オランダではヤン・デ・アウデ(Jan de Oude)と呼ばれ、オランダ王家の祖の1人と見なされている。
兄ウィレム1世がオラニエ公領を相続したため、ナッサウ家の強大化を嫌った神聖ローマ皇帝カール5世の意向により、父ヴィルヘルムのディレンブルク伯位と所領はヨハンが相続した。八十年戦争において兄や弟たちとともに活躍し、ユトレヒト同盟の成立に尽力、またヘルダーラント州の総督(1578年 - 1581年)も務めた。その後、兄とは一線を画して、ドイツ西部のナッサウ家の所領の経営と、兄と自身の大勢の子たちの養育に当たった。
家族
[編集]父や兄と同様に多くの子をもうけている。
1559年にエリーザベト・フォン・ロイヒテンベルク(1537年 - 1579年)と最初の結婚をし、11子をもうけた。
- ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(ウィレム・ローデウェイク、1560年 - 1620年) - ナッサウ=ディレンブルク伯、フリースラント州・フローニンゲン州総督
- ヨハン7世(1561年 - 1623年) - ナッサウ=ジーゲン伯
- ゲオルク(ヘオルヘ、1562年 - 1623年) - ナッサウ=ディレンブルク伯
- エリーザベト(1564年 - 1611年)
- ユリアナ(1565年 - 1630年)
- フィリップ(フィリップス、1566年 - 1595年)
- マリア(1568年 - 1625年)
- アンナ・ジビラ(1569年 - 1576年)
- マティルデ(1570年 - 1625年)
- エルンスト・カジミール(エルンスト・カシミール、1573年 - 1632年) - ナッサウ=ディーツ伯、フリースラント州・フローニンゲン州総督
- ルートヴィヒ・ギュンター(ローデウェイク・ヒュンテル、1575年 - 1604年)
1580年にクニグンデ・ヤコバ・フォン・ジンメルン(1556年 - 1586年)と2度目の結婚をし、2女をもうけた。
1586年にヨハンネッタ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタインと3度目の結婚をし、7子をもうけた。
- ゲオルク・ルートヴィヒ(1588年)
- ヨハン・ルートヴィヒ(ヨハン・ローデウェイク、1590年 - 1653年)
- ヨハンネッタ・エリーザベト(1593年 - 1654年)
- アンナ(1594年 - 1660年)
- マグダレーナ(1595年 - 1633年)
- アンナ・アマリア(1599年 - 1667年)
- ユリアーネ(1602年)
フローニンゲン州とフリースラント州の総督はヨハンの家系が世襲したが、エルンスト・カジミールの曾孫ヨハン・ウィレム・フリーゾはウィレム3世(イングランド王ウィリアム3世)で直系が断絶したオラニエ=ナッサウ家を相続した。
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