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ラッドロー・トンソン (第3代リヴァーズデイル男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第3代リヴァーズデイル男爵ラッドロー・トンソン英語: Ludlow Tonson, 3rd Baron Riversdale1784年3月6日1861年12月13日)は、アイルランド貴族アイルランド国教会の聖職者。1839年から1861年までキラルー・キルフェノラ・クロンファートおよびキルマクドゥーア主教英語版を務めた[1]

生涯

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初代リヴァーズデイル男爵ウィリアム・トンソンと妻ローズ(Rose、旧姓バーナード(Barnard)、1758年3月8日 – 1810年5月26日、ジェームズ・バーナードの娘)の八男として、1784年3月6日にコーク県リズナガー(Lisnagar)で生まれた[1][2]。1793年から1802年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1803年6月9日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1805年にM.A.の学位を修得した[3]

1810年5月6日に執事に、同年5月20日に司祭に叙品され、1839年にキラルー・キルフェノラ・クロンファートおよびキルマクドゥーア主教英語版に任命された[3]

1848年4月3日に兄ウィリアムが死去すると、リヴァーズデイル男爵位を継承した[1]

1861年12月13日に生涯未婚のままクレア県キラルー英語版にある主教邸で死去、リヴァーズデイル男爵位は廃絶した[1]。遺言状でウィリアム・トマス・ジョナス・スターウェル(William Thomas Jonas Stawell)を遺産継承者に指名した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 34–35.
  2. ^ Courthope, William, ed. (1838). Debrett's Complete Peerage of the United Kingdom of Great Britain and Ireland (英語) (22nd ed.). London: J. G. & F. Rivington. p. 677.
  3. ^ a b "Tonson, The Hon. (TN803L)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
アイルランド国教会の称号
先代
スティーブン・サンズ英語版
キラルー・クロンファート主教英語版
1839年 – 1861年
次代
ウィリアム・フィッツジェラルド英語版
アイルランドの爵位
先代
ウィリアム・トンソン
リヴァーズデイル男爵
1848年 – 1861年
廃絶