ラデク・ベイブル
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Radek Bejbl | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | チェコ | |||||
生年月日 | 1972年8月29日(52歳) | |||||
出身地 | ニムブルク | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1996 | スラヴィア・プラハ | 154 | (28) | |||
1996-2000 | アトレティコ・マドリード | 105 | (2) | |||
2000-2002 | RCランス | 26 | (0) | |||
2002-2005 | スラヴィア・プラハ | 83 | (2) | |||
2005-2007 | SKラピード・ウィーン | 59 | (3) | |||
2007-2008 | FCスロヴァン・リベレツ | 8 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1992-1993 | チェコスロバキア[1] | 2 | (0) | |||
1995-2001 | チェコ[1] | 56 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ラデク・ベイブル(Radek Bejbl, 1972年8月29日 - )は、チェコの元サッカー選手。ポジションはMF(守備的MF)。
経歴
[編集]1990年に18歳でSKスラヴィア・プラハへ入団し、選手生活をスタートすると、すぐに頭角を現し1995-96シーズンにガンブリヌス・リーガ優勝、UEFAカップベスト16進出に貢献した。この活躍によりスカウトの関心を集め、1996年にスペイン・プリメーラ・ディビシオンのアトレティコ・マドリードへ移籍した。アトレティコでもレギュラーに定着し、リーグ通算105試合に出場し、1996-97シーズンのUEFAチャンピオンズリーグベスト8進出や、1999年と2000年のコパ・デルレイ準優勝に貢献したが、タイトルとは縁がなく、2000年に2部降格が決まるとクラブを去り、フランス・リーグアンのRCランスへ移籍した。
その後はSKスラヴィア・プラハ、オーストリアのSKラピード・ウィーン、チェコのFCスロヴァン・リベレツを渡り歩き、2008年に現役を引退した。
チェコスロバキア代表として、1992年1月4日のエジプト戦で代表デビューを飾り、国際Aマッチ2試合に出場した。1995年からはチェコ代表に選出。1996年のUEFA EURO1次リーグ第2戦、対イタリア戦では決勝ゴールを決める活躍を見せ、同国の大会準優勝に貢献した。
しかし、1997年のFIFAワールドカップ・フランス大会予選ではスペインに競り負け、ワールドカップ出場は叶わなかった。UEFA EURO 2000に出場し、2001年6月6日の北アイルランド戦(試合は3-1でチェコの勝利)を最後に代表から退いた。チェコ代表通算では国際Aマッチ56試合に出場し、3得点を記録した。
脚注
[編集]- ^ a b “Radek Bejbl - STATISTIKY REPREZENTANTŮ”. FOTBAL.CZ. 2015年8月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- ラデク・ベイブルのHETリガ成績 - Fotbal DNES
- Karriereverlauf
- ラデク・ベイブル - チェコサッカー協会