ラベルジュマン=サント=マリー
Labergement-Sainte-Marie | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏 |
県 (département) | ドゥー県 |
郡 (arrondissement) | ポンタルリエ郡 |
小郡 (canton) | フランヌ小郡 |
INSEEコード | 25320 |
郵便番号 | 25160 |
市長(任期) |
ダニエル・パスキエ[1] (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes des Lacs et Montagnes du Haut-Doubs |
人口動態 | |
人口 |
1168人 (2014年) |
人口密度 | 53人/km2 |
住民の呼称 | Abergeurs |
地理 | |
座標 | 北緯46度46分32秒 東経6度16分51秒 / 北緯46.7755555556度 東経6.28083333333度座標: 北緯46度46分32秒 東経6度16分51秒 / 北緯46.7755555556度 東経6.28083333333度 |
標高 |
平均:m 最低:846m 最高:1054m |
面積 | 22.12km2 |
ラベルジュマン=サント=マリー (Labergement-Sainte-Marie)は、フランス、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏、ドゥー県のコミューン。
由来
[編集]1312年にはL'Abergementと記され、1882年以降はLabergement-Sainte-Marieとなった。コミューンの名は二重の意味がある。abergésは領主が治める土地に入植した聖職者を指し、その領主とはモン・サント・マリー修道院を指すのである[2]。
コミューンはサン・ポワン湖の上流、サン・ポワンおよびルモレ湖谷に位置している。コミューンの領域にはルモレ湖も含まれる(ドゥー川から流れ出た水でできた面積96ヘクタールの小さな湖である)。
歴史
[編集]ラベルジュマンは、モン・サント・マリー修道院の旧寮に掲げられたプラークで証明されるように、1870年の普仏戦争に関連した出来事の舞台である。『1871年1月31日、ヴォーの戦いでブリュセロル将軍は自らの部隊とともにモンジャン、レ・ロンジュヴィル、サンタントワーヌを発ち、そしてグランジュ=サント=マリーを占領のうえ行進した。』
1972年、コミューンは隣接する人口78人のグランジュ=サント=マリー(1275年にMonte Sanctæ Marie、14世紀終わりにMontis Sancti Marie、15世紀にMontis Sancte Marieと呼ばれた)と合併した[3]。フランス革命時代にグランジュ=サント=マリーは、モン=デ=ラック(Mont-des-Lacs)と名前を変更させられていた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 | 2014年 |
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449 | 463 | 565 | 702 | 864 | 920 | 1034 | 1168 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[3]、2006年以降INSEE[4][5]。
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ Site officiel de la préfecture du Doubs - liste des maires (doc pdf)
- ^ Jean Courtieu, Dictionnaire des communes du département du Doubs, t. 4, Besançon, Cêtre,
- ^ a b “Labergement-Sainte-Marie”. Notice Communale. 2017年11月5日閲覧。
- ^ “Populations légales 2014”. Insee. 2017年11月5日閲覧。
- ^ “Insee”. Insee. 2017年11月5日閲覧。
- ^ “20 000 événements à venir”. Ouest-France. 2017年11月5日閲覧。