ラルフ・ウェンゼル
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Ralph Wenzel | |||||
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基本情報 | |||||
ポジション | オフェンシブガード | ||||
生年月日 | 1943年3月13日 | ||||
没年月日 | 2012年6月18日(69歳没) | ||||
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンマテオ | ||||
身長: | 6' 3" =約190.5cm | ||||
体重: | 244 lb =約110.7kg | ||||
経歴 | |||||
大学 | サンディエゴ州立大学 | ||||
AFL/NFL ドラフト | 1967年 / 11巡目全体168位 | ||||
初出場年 | 1967年 | ||||
初出場チーム | ピッツバーグ・スティーラーズ | ||||
所属歴 | |||||
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NFL 通算成績 | |||||
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Player stats at PFR |
ラルフ・ウェンゼル(Ralph Richard Wenzel 1943年3月13日 - 2012年6月18日)はカリフォルニア州サンマテオ出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのピッツバーグ・スティーラーズ、サンディエゴ・チャージャーズで1966年から1973年まで7シーズンプレーした[1]。
サンディエゴ州立大学[2]から1966年のNFLドラフトでグリーンベイ・パッカーズに指名されたがその年ピッツバーグ・スティーラーズに入団し1970年まで5シーズン在籍した。その後サンディエゴ・チャージャーズでも1972年、1973年の2シーズンプレーした。
現役引退後、認知症にかかり彼の妻で医師であるエレーナ・パルフェットがNFLでプレーしたことが原因だとしてカリフォルニア州に労災認定するよう訴えを起こした[1][3]。
現役時代はロイド・ボスと非常に親しかったが、彼とチームメートとしてプレーしたことも思い出せなかったという[4]。
2012年6月18日、認知症の合併症のために死去[5]。69歳没。
脚注
[編集]- ^ a b 近藤祐司. “NFLチームのLA移転は消滅?障壁はカリフォルニア州法”. NFL JAPAN. 2010年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月11日閲覧。
- ^ “Player Bio”. サンディエゴ州立大学. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “Case Will Test N.F.L. Teams’ Liability in Dementia”. ニューヨーク・タイムズ (2010年4月5日). 2010年4月11日閲覧。
- ^ “Wives United by Husbands’ Post-N.F.L. Trauma”. ニューヨーク・タイムズ (2007年3月14日). 2011年4月11日閲覧。
- ^ Former OL Ralph Wenzel dies from complications of dementia nbc sports ProFootballTalk 2012年6月23日閲覧
外部リンク
[編集]- Ralph Wenzel Trust
- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference