ラ・トンブ
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La Tombe | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | セーヌ=エ=マルヌ県 |
郡 (arrondissement) | プロヴァン郡 |
小郡 (canton) | プロヴァン小郡 |
INSEEコード | 77467 |
郵便番号 | 77130 |
市長(任期) |
パスカル・プレイエル[1] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Bassée-Montois |
人口動態 | |
人口 |
231人 (2015年) |
人口密度 | 29人/km2 |
住民の呼称 | Tombiers |
地理 | |
座標 | 北緯48度23分16秒 東経3度05分27秒 / 北緯48.3878度 東経3.0908度座標: 北緯48度23分16秒 東経3度05分27秒 / 北緯48.3878度 東経3.0908度 |
標高 |
平均:m 最低:49m 最高:86m |
面積 | 7.84km2 |
ラ・トンブ (La Tombe)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、セーヌ=エ=マルヌ県のコミューン。
地理
[編集]コミューンは県南東部に位置し、セーヌ川谷の中にある。
村はセーヌ左岸に建設されており、ブレ=シュル=セーヌの南西12km、プロヴァンの南西28kmに位置する。
由来
[編集]『墓』(tombe)という言葉が導き出されるキリスト教ラテン語のtumbaは、古代の墓地を名づけるため使われた。ラ・テーヌ文化の墓所がラ・トンブで発掘されている。
歴史
[編集]1418年5月26日、ローマ教皇マルティヌス5世の後援のもとでの2か月間の困難な交渉の後、フランス王シャルル7世とブルゴーニュ公ジャン無怖公との間でラ・トンブ条約が調印された。アルマニャック派とブルゴーニュ派との抗争を終わらせるべく結ばれた条約は、5月28日に発生したパリ蜂起が和平への希望を台無しにしたため、すぐに消滅してしまった。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2004年 | 2015年 |
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158 | 160 | 154 | 172 | 194 | 222 | 231 | 231 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]
脚注
[編集]- ^ "Annuaire des communes de Seine-et-Marne". um77.fr (Union des maires de Seine-et-Marne). 2014年5月28日閲覧。.
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=37722
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-77467
- ^ http://www.insee.fr