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リキッサ・アヴ・スヴェーリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リキッサ・アヴ・スヴェーリエ
Rikissa av Sverige
ポーランド公妃
在位 1285年 - 1292年?

全名 リキッサ・ヴァルデマールスドッテル・アヴ・スヴェーリエ(Rikissa Valdemarsdotter av Sverige)
出生 1270年ごろ
死去 1292年ごろ
埋葬 ポーランド王国、ポズナン大聖堂
結婚 1285年
配偶者 プシェミスウ2世
子女 リクサ・エルジュビェタ
家名 フォルクング家
父親 スウェーデン王ヴァルデマール1世
母親 ソフィア・ア・ダンマーク
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リキッサ・アヴ・スヴェーリエスウェーデン語:Rikissa av Sverige, 1270年ごろ - 1292年ごろ)またはリクサ・シュウェツカポーランド語:Ryksa szwedzka, Ryksa Waldemarówna)は、大ポーランド公プシェミスウ2世の妃。スウェーデン王ヴァルデマール1世ソフィア・ア・ダンマークデンマーク王エーリク4世の娘)の娘。

生涯

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リキッサの正確な生年月日は不明であるが、一般的には両親の3番目の娘、5番目の子供とされる(両親には2人の息子および5人の娘がいた)。リキッサが1273年より前に生まれたのは確かで、その年までにリキッサと妹カタリーナはブラウンシュヴァイク=リューネブルクヨハンの息子オットー2世との結婚が考えられていた[1]。しかし、結婚交渉は実を結ぶことなく終わった。

1275年、父ヴァルデマール1世は弟のマグヌスにより追放され、1年後に母ソフィアは夫と離婚してデンマークに戻った。若いリキッサとその兄弟は、父親の保護のもとスウェーデンに残ったとみられる[注釈 1]。式典では、リキッサの妹マリアンナ(またはマリーナ)が、ドイツの貴族であるディープホルツ伯ルドルフ2世と結婚した[2]。リキッサとプシェミスウ2世の結婚は、ブランデンブルクの統治者であるアスカニア家の仲介により結ばれ、父親である元国王ヴァルデマール1世の同意なしに行われた。

ポーランド公の最も親しい臣下の1人であるタイロンをポーランド公の代理として代理結婚が行われた[1][3]。プシェミスウ2世とリキッサの正式な結婚がいつ、どこで行われたかについては記録が残されていない[4]

リキッサとプシェミスウ2世の結婚は幸せであったと伝えられている。2人の間には1288年9月1日にポズナンで一人娘が生まれた。リクサという名のその娘は、後にボヘミア王およびポーランド王ヴァーツラフ2世の王妃となり、ヴァーツラフ2世の死後はハプスブルク家ルドルフ3世の妃となった[5]

娘の誕生が、リキッサに関す最後に確認される記録である。リキッサは1288年9月1日から1293年4月13日までの間に死去したのは確実であり[6]、1289年から1292年の間であったとみられる[7]。1295年6月26日のポーランド王の戴冠式でリキッサが夫の隣にいたとしたヤン・ドゥウゴシュの記録は誤りであることが明らかとなっている[6]

リキッサに対するプシェミスウ2世の深く強い愛情は、2つの事実により証明されている。1つ目は、プシェミスウ2世が娘にリキッサの名前を付けたこと、2つ目は、1293年4月19日に発行された文書でリキッサについて触れていることで、その文書においてプシェミスウ2世はリキッサの墓で永遠に灯されるランプの支払いとしてコビルニキの村をポズナン司教領に譲渡し、リキッサの隣に埋葬されたいという願望を表明している[8]

リキッサはポズナンの聖ペテロ・聖パウロ大聖堂に埋葬された。1296年にプシェミスウ2世が殺害された後、その希望に従いリキッサの隣に埋葬された。

注釈

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  1. ^ 1277年、元国王ヴァルデマール1世はスウェーデン南部イェータランドの管区を取り戻すことに成功し、イェータランド公と呼ばれた。しかし、マグヌス3世は1278年ごろにそれらを取り戻した。

脚注

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  1. ^ a b Jasiński 1995, p. 55.
  2. ^ Świeżawski 2006, p. 120.
  3. ^ KDW (Kodeks Dyplomatyczny Wielkopolski), vol. I, nr 568.
  4. ^ Jasiński 1994, pp. 69–80.
  5. ^ Bielowski 1872, p. 852.
  6. ^ a b Balzer 2005, p. 432.
  7. ^ Jasiński 1995, p. 56.
  8. ^ KDW, vol. II, nr 631.

参考文献

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  • Jasiński, K. (1995). Genealogia Piastów wielkopolskich. Potomstwo Władysława Odonica 
  • Świeżawski, A. (2006). Przemysł - król Polski. Warsaw: dig 
  • Jasiński, K. (1994). “Szwedzkie małżeństwo księcia wielkopolskiego Przemysła II (Ryksa, żona Przemysła)”. In K. Bobowskiego. Monastycyzm, Słowiańszczyzna i państwo polskie. Warsztat badawczy historyka. Wrocław. pp. 69-80 
  • Bielowski, August (1872). Monumenta Poloniae Historica (MPH) - Rocznik Dziejowe Traski. vol. II. Lwów 
  • Balzer, O. (2005). Genealogia Piastów. Kraków: Wydawnictwo Avalon