リジャール・ル・リッシュ
リジャール・ル・リッシュ Lisiard Le Riche | |
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ソー領主 | |
死去 |
941年以降 |
子女 |
アンソー1世 ジョゼフ2世 エリザベート |
家名 | ル・リッシュ家 |
父親 | パリ副伯テュードン=ティオン・ル・リッシュ |
リジャール・ル・リッシュ(フランス語:Lisiard Le Riche, ? - 941年以降)は、10世紀のソー卿であり、ブルゴーニュ公であったユーグ大公に仕えた騎士。
生涯
[編集]リジャールの父テュードン=ティオン・ル・リッシュ(? - 945年)はパリ副伯であった。
リジャールの息子オセール副伯(フランス語版)アンスー1世ロセーロワ(L'Auxerrois, ? - 956年)は、ユーグ大公の愛妾であったレインガルド・ド・ディジョンと結婚し、後にオセール大司教となるユーグ大公の息子エルベールの後見人となった。エルベールはアンソーとレインガルドの子達と一緒に育てられた。
リジャールのもう一人の息子、ジョゼフ・ル・リッシュはトゥール大司教となり、娘のエリザベートはコルベイユ伯エイモン(フランス語版)と結婚し、コルベイユ伯家の祖となった[1]。
941年にリジャールがフルーリー修道院(フランス語版)に入り修道僧となった際[2][3]、サン=ブノワ=シュル=ロワールの同修道院に寄贈したものの贈与証書を作成させ、その中には息子ジョゼフと娘エリザベートのために使用権を留保する条項が含まれていた。941年、この2人の子女はまだ幼かった。
エリザベートはまだ未婚で、ジョゼフは侍者であった。ジョゼフは後に952年ごろから960年までトゥール大司教をつとめ(ジョゼフ2世)、エリザベートは初婚の夫コルベイユ伯エイモンとの死別後、パリ伯ブシャール1世と再婚し、2人の間に生まれた息子がパリ司教ルノー2世となる。
ルノー2世とブシャール1世の父子は、ソーの教会をサンモール・デ・フォッセの修道僧に与えた[4][5]。贈与証書に署名した人物はユーグ大公及び子供たちの後見人であるリジャールの父テュードン=ティオン、ブロワ伯ティボー1世、アンジュー伯フルク1世、ガティネ伯ジョフロワ、ヴァロワ伯ラウル2世(トゥール伯ティボーの娘婿)、コルベイユ伯エイモン(エリザベートの最初の夫)、サンス副伯フロモン1世(フランス語版)および8年後にサンスの初代世襲伯となったその息子レイナールであり、リジャールがブルゴーニュ公の宮廷で高い地位にあったことを示している[1]。
リジャール(Lisiard)という名前はアンソー・ル・リッシュの一族特有のもので、11世紀の間、他の一族はこの名前を付けていなかった[6]。
さらに、家族の文書の署名にブロワ伯ティボー1世が参加していることに加え、ティボーという名がル・リッシュ家の男性名に頻繁に名付けられるようになったため、リジャールはティボー1世と何かしらの関係があった可能性が高い[7]。
参考文献
[編集]- ^ a b branche Le Riche de Paris.
- ^ Recueil des chartes de l’abbaye de Saint-Germain-sur-Loire. Prou et Vidier, I, page 121. Cité dans branche Le Riche de Paris.
- ^ annales Ord. S. Benedicti, Mabillon, III, page 711. Cité dans branche Le Riche de Paris.
- ^ Eudes de Saint-Maur, Vie de Bouchard, en latin et avec traduction en français. p. 32. Cité dans branche Le Riche de Paris.
- ^ Archives nationales, K 18, numéro 2.4. Cité dans branche Le Riche de Paris.
- ^ Annales de la Société Historique & Archéologique du Gâtinais, tome XXX, Fontainebleau, 1912. Cité dans branche Le Riche de Paris.
- ^ Essai sur la chronologie des évêques de Paris de 768 à 1138. J. Depoin, pages 19 et suivantes. Cité dans branche Le Riche de Paris.