リチャード・シャウプ
リチャード・シャウプ Richard Shoup | |
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生年月日 | 1923年11月29日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 アイダホ州、レムヒ郡、サーモン |
没年月日 | 1995年11月25日 (71歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 モンタナ州、ミズーラ |
出身校 | モンタナ大学 |
所属政党 | 共和党 |
選挙区 | モンタナ州第1選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1971年1月3日 - 1975年1月3日 |
ミズーラ市長 | |
在任期間 | 1967年 - 1970年 |
ミズーラ市議会議長 | |
在任期間 | 1965年 - 1967年 |
ミズーラ市議会議員 | |
在任期間 | 1963年 - 1967年 |
リチャード・ガードナー・シャウプ (英語: Richard Gardner Shoup, 1923年11月29日 - 1995年11月25日)は、アメリカ合衆国の政治家、共和党員。 アメリカ合衆国下院議員(通算期)。
経歴・人物
[編集]シャウプは1923年11月29日、アイダホ州レムヒ郡サーモンで生まれた。曽祖父のジョージ・シャウプは初代アイダホ州知事を務め、同州初のアメリカ合衆国上院議員を務めた人物であった。サーモンの公立学校を卒業後、1950年にモンタナ州ミズーラのモンタナ大学で学士号を取得した。
第二次世界大戦中の1943年から1946年までアメリカ陸軍の欧州地域野戦砲兵部隊に所属。1951年から1952年まで朝鮮戦争に従軍した。戦後は、ミズーラでランドリーとドライクリーニングの事業を経営していた[1][2]。
政治家として
[編集]1963年にミズーラ市議会議員に就任して以降、ミズーラ市議会議長などを務め、1967年に第38代ミズーラ市長に就任した。シャウプは市長として老朽化が進んでいた新市庁舎の建設を進め、モンタナ大学でベトナム戦争に関する反戦デモが起こった際には、占拠された建物の解放交渉を行った[3]。
1970年、共和党から連邦下院議員選挙に出馬して当選後、2選を果たした[1]。下院議員として、癌治療、ベトナム戦争の行方不明兵士、エネルギー開発、牛肉製品の適切な表示などの問題に関わった。また、シャウプは1974年1月2日に発効した「北東部鉄道法(1973年3R法)」の成立に大きな貢献を果たした。同法はアメリカ北東部の鉄道路線の復旧、再構築を目指すもので、1976年の鉄道活性化及び規制法(4R法)や1980年のスタッガーズ・レール法などの鉄道関連法案の基礎となった[3]。その後、3期目を目指した1974年選挙で民主党のマックス・ボーカスに破れ、1万2000票以上の差をつけられ落選した[4]。
政界引退後は、1975年から1984年までユニオン・パシフィック鉄道のワシントン駐在員として働いていた[1]。1995年11月25日にミズーラで亡くなった[2]。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ a b c “SHOUP, Richard Gardner (Dick); 1923 – 1995”. Biographical Directory of the United States Congress. 2021年4月1日閲覧。
- ^ a b “Richard Shoup Papers, 1968-1974”. Archives West. 2021年4月1日閲覧。
- ^ a b Missoula Mayors Interred At The Missoula Cemetery. The Missoula Cemetery. (2008). pp. 37-39
- ^ Report of the official the Vote Cast at the General Election Held in the State of Montana, November 5,1974. Montana. Secretary of State. (1974)
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 アーノルド・オルセン |
モンタナ州第1選挙区 選出議員 第11代: 1971年1月3日-1975年1月3日 |
次代 マックス・ボーカス |