リチャード・ヒダルゴ
2005年、テキサス・レンジャーズ時代のヒダルゴ | |
基本情報 | |
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国籍 | ベネズエラ |
出身地 | カラカス |
生年月日 | 1975年6月28日(49歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1991年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約 |
初出場 | 1997年9月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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リチャード・ホセ・ヒダルゴ(Richard Jose Hidalgo , 1975年6月28日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り - アストロズ時代 (1991 - 2004)
[編集]1991年7月2日に、ヒューストン・アストロズと契約[1]。この年は、メジャー及びマイナーでの出場機会はなかった。
1992年は、ルーキー級のGCL・アストロズに所属し、51試合に出場。打撃面では、打率.310・1本塁打・27打点・14盗塁・OPS0.756という成績を残した。また、守備面では外野手として46試合で守りに就き (ポジション別の試合数は不詳) 、無失策だった。
1993年は、A級のアッシュビル・ツーリスツに昇格して111試合に出場。打率.270・10本塁打・55打点・21盗塁・OPS0.740という打撃成績と、108試合の外野守備で6失策・守備率.974という守備成績を残した。
1994年は、クアッドシティーズ・リバーバンディッツ (A級) で124試合に出場し、打率.292・12本塁打・76打点・12盗塁・OPS0.823という成績を記録。また、同年のミッドウェストリーグで、2位のケビン・ミラーに10本以上の差を付けるリーグトップの47二塁打を放った[2]。守備面では、116試合の外野守備で11失策・守備率.953という成績を残した。
1995年は、AA級のジャクソン・ジェネラルズに昇格し、133試合に出場。打率.266・14本塁打・59打点・8盗塁・OPS0.743という打撃成績を残した。また、守備面では、ライト124試合とセンター5試合を守り、合計で5失策・守備率.981という成績だった。なお、この年はベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングで34位に選ばれているが、ヒダルゴはこの年から4年連続で選ばれた[3]。
1996年は、前年に引き続きジャクソンでプレー。130試合に出場して、打率.294・14本塁打・78打点・11盗塁・OPS0.791という成績を残した。守備では、前年と逆でセンターを守る機会の方が多く、センター113試合とライト17試合で計6失策・守備率.981だった。
1997年は、9月1日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビューを果たした[1][4]。この試合でヒダルゴは「6番・センター」としてスタメン起用され、メジャー初ヒットも放った[4]。メジャーでは、最終的には19試合に出場し、打率.306・2本塁打・6打点・1盗塁・OPS0.842という成績を残した。守備面では、センター17試合、レフトとライト各1試合ずつで守りに就き、無失策だった。なお、マイナーではAAA級のニューオーリンズ・ゼファーズで134試合に出場し、打率.279・11本塁打・78打点・6盗塁・OPS0.761という成績を記録、5年連続で2ケタ本塁打を放った。
1998年はメジャーでの出場機会の方が多くなり、74試合に出場。打撃面では、打率.303・7本塁打・35打点・3盗塁・OPS0.829という成績を残し、デビューから2年連続で.300以上の打率を記録した。守備では、センター57試合、ライト14試合、レフト9試合を守り、トータルで3失策・守備率.978だった。また、マイナーではニューオーリンズで10試合に出場しただけであり、打率.167・1打点・OPS0.509という成績だった。
1999年は、8月に左の膝蓋骨の先天的な不具合に起因する炎症を起こし、手術を受けた為、それ以降の試合を欠場した[5]。この年は108試合に出場し、打率.227・15本塁打・56打点・8盗塁・OPS0.748という成績を残した。守備は、前年と同じく外野3ポジション全てを守り、レフトとライトでは無失策だった。
2000年は、9月以降で29試合に出場し、打率.477・11本塁打・32打点を記録してプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選出された[6][7]。同年はキャリアハイの153試合に出場し、打率.314・44本塁打・122打点・13盗塁・OPS1.028という成績を記録。本塁打、打点、OPSのほか、複数の打撃部門でリーグ10位以内にランクインした[8]。守備面では、センター125試合、ライト37試合、レフト36試合を守り、合計で7失策・守備率.984を記録した。
2001年のシーズン開幕前に、4年3,200万ドルの契約を結んだ (5年目は球団オプション) [9]。この年は146試合に出場し、打率.275・19本塁打・80打点・3盗塁・OPS0.811という成績で、特に本塁打は、前年の半分以下の本数に減少した。守備は、前年から引き続いて外野3ポジションを守り、144試合の外野守備で3失策・守備率.991を記録した。
2002年は、114試合の出場で打率.235・15本塁打・48打点・6盗塁・OPS0.734という成績で、打率、本塁打、打点の3部門は2年連続で低下した。また、監督批判、トレード志願、ロッカールームでの大暴れ等、複数の問題行動を起こした[10]。そしてシーズンオフの11月21日、母国のベネズエラに帰国していたヒダルゴはカージャックに遭い、銃で左腕を撃たれた[10][11]。しかし、骨は撃たれなかった為、翌2003年のキャンプには間に合った[10]。
2003年はレギュラーに復帰し[10]、141試合に出場。打率.309・28本塁打・88打点・9盗塁・OPS0.957という成績を残し、チームのMVPに選ばれた[10]。守備では137試合でライトを守り、4失策・守備率.987・DRS+19という成績を記録。また、リーグトップのアシスト22を記録した[12]。
2004年は、58試合に出場して打率.256・4本塁打・30打点・1盗塁・OPS0.721という打撃成績と、56試合のライト守備で2失策・守備率.982・DRS+7という守備成績を記録していた。
メッツ時代 (2004)
[編集]2004年6月17日に、デービッド・ウェザーズ、ジェレミー・グリフィスとのトレードでニューヨーク・メッツへ移籍した[1]。移籍後は86試合に出場し、打率.228・21本塁打・52打点・3盗塁・OPS0.759という成績を記録。また、守備面ではライトとレフトを計86試合で守り、4失策・守備率.977・DRS+9という成績を記録。2チーム計では、144試合の出場で打率.239・25本塁打・82打点・4盗塁・OPS0.745という打撃成績と、142試合の外野守備で6失策・守備率.979・DRS+16という守備成績を残した。また、アシスト14は2年連続でリーグ1位だった (この年はフアン・リベラとタイ) [13]。オフの11月1日にFAとなった[1]。
レンジャーズ時代 (2005)
[編集]2004年12月10日に、テキサス・レンジャーズと1年500万ドルで契約[14]。
2005年は、レンジャーズで88試合に出場し、打撃面では打率.221・16本塁打・43打点・1盗塁・OPS0.705という成績を残した。また、守備面ではライト83試合とセンター3試合で守りに就き、合計で2失策・守備率.989・DRS+8という成績だった。オフの11月1日にFAとなった。
2006年2月26日にボルチモア・オリオールズと契約したが[1]、3月7日に解雇された[15]。この年は、2006年から2007年にかけて開催されるウィンターリーグのLVBPでプレー。ナベガンテス・デル・マガジャネスで54試合に出場し、打率.273・9本塁打・27打点・4盗塁・OPS0.840という成績を残した。守備面では、53試合でライトを守り、5失策・守備率.960という成績だった。
2007年も、LVBPのマガジャネスに所属して46試合に出場し、打率.291・13本塁打・30打点・1盗塁・OPS0.931という成績を残した。守備面では、32試合のライト守備で3失策・守備率.962だった。
2008年は、独立リーグであるアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスに所属し、30試合に出場。打撃面では、打率.261・5本塁打・16打点・1盗塁・OPS0.811だった。守備面では、29試合でライトを守って無失策だった。更に同年は、マガジャネスでも53試合に出場し、打率.327・7本塁打・31打点・3盗塁・OPS0.921という成績を残した。
2009年は、キャリア初のメキシカンリーグでのプレーを経験。モンテレイ・サルタンズで2試合に出場した。また、4シーズン連続でマガジャネスでもプレーし、55試合の出場で打率.306・8本塁打・31打点・OPS0.909という成績を残した。
2010年及び2011年もマガジャネスに所属し、2シーズンで計42試合に出場したが、2020年2月時点で、それ以降は試合出場が記録されていない。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | HOU | 19 | 67 | 62 | 8 | 19 | 5 | 0 | 2 | 30 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 18 | 0 | .306 | .358 | .484 | .842 |
1998 | 74 | 234 | 211 | 31 | 64 | 15 | 0 | 7 | 100 | 35 | 3 | 3 | 0 | 4 | 17 | 0 | 2 | 32 | 5 | .303 | .355 | .474 | .829 | |
1999 | 108 | 449 | 383 | 49 | 87 | 25 | 2 | 15 | 161 | 56 | 8 | 5 | 0 | 5 | 56 | 2 | 4 | 73 | 5 | .227 | .328 | .420 | .748 | |
2000 | 153 | 644 | 558 | 118 | 175 | 42 | 3 | 44 | 355 | 122 | 13 | 6 | 0 | 9 | 56 | 3 | 21 | 110 | 13 | .314 | .391 | .636 | 1.028 | |
2001 | 146 | 593 | 512 | 70 | 141 | 29 | 3 | 19 | 233 | 80 | 3 | 5 | 0 | 11 | 54 | 3 | 16 | 107 | 15 | .275 | .356 | .455 | .811 | |
2002 | 114 | 439 | 388 | 54 | 91 | 17 | 4 | 15 | 161 | 80 | 3 | 5 | 0 | 2 | 43 | 1 | 6 | 85 | 13 | .235 | .319 | .415 | .734 | |
2003 | 141 | 585 | 514 | 91 | 159 | 43 | 4 | 28 | 294 | 88 | 9 | 7 | 0 | 5 | 58 | 8 | 8 | 104 | 10 | .309 | .385 | .572 | .957 | |
2004 | 58 | 220 | 199 | 21 | 51 | 15 | 2 | 4 | 7 | 30 | 1 | 2 | 0 | 4 | 17 | 4 | 0 | 53 | 7 | .256 | .309 | .412 | .721 | |
NYM | 86 | 359 | 324 | 46 | 74 | 11 | 1 | 21 | 150 | 52 | 3 | 2 | 0 | 2 | 27 | 3 | 5 | 76 | 12 | .228 | .296 | .463 | .759 | |
'04計 | 144 | 579 | 523 | 67 | 125 | 26 | 3 | 25 | 232 | 82 | 4 | 4 | 0 | 6 | 44 | 7 | 5 | 129 | 19 | .239 | .301 | .444 | .745 | |
2005 | TEX | 88 | 339 | 308 | 43 | 68 | 12 | 0 | 16 | 128 | 43 | 1 | 2 | 0 | 1 | 26 | 1 | 4 | 74 | 8 | .221 | .289 | .416 | .705 |
MLB:9年 | 987 | 3929 | 3459 | 531 | 929 | 214 | 19 | 171 | 1694 | 560 | 48 | 34 | 0 | 43 | 358 | 25 | 67 | 737 | 67 | .269 | .345 | .490 | .835 |
背番号
[編集]- 15(1997年 - 1999年、2000年 - 2004年)
- 16(1998年)
- 51(2005年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e Richard Hidalgo - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ 1994 Midwest League Batting Leaders - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ Richard Hidalgo Minor, Winter, Independent & Mexican Lg Stats - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ a b September 1, 1997 MIL vs HOU - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ “Astros’ Hidalgo Has Knee Surgery” (英語). Associated Press News (1999年8月27日). 2020年2月25日閲覧。
- ^ Richard Hidalgo 2000 Batting Game Logs - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ MLB Players of the Month - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ 2000 National League Batting Leaders - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ CBS/AP (2001年1月12日). “Astros Ink Hidalgo For $32M” (英語). CBS News. 2020年2月25日閲覧。
- ^ a b c d e 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、309頁。ISBN 4-331-51040-9。
- ^ JOSE DE JESUS ORTIZ (2002年11月22日). “Astros Richard Hidalgo shot in left arm during carjacking in Venezuela” (英語). Chron. 2020年2月25日閲覧。
- ^ 2003 National League Fielding Leaders - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ 2004 National League Fielding Leaders - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月25日閲覧。
- ^ Associated Press (2004年12月11日). “Outfielder agrees to one-year contract” (英語). ESPN. 2020年2月25日閲覧。
- ^ “Orioles release Richard Hidalgo” (英語). Orioles.com (2006年3月7日). 2020年2月26日閲覧。