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リヒャルト・コルヘア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リヒャルト・コルヘア
Richard Korherr
生誕 1903年10月30日
ドイツの旗 ドイツ帝国 レーゲンスブルク
死没 1989年11月24日(1989-11-24)(86歳没)
西ドイツの旗 西ドイツ ブラウンシュヴァイク
職業 統計学
著名な実績 コルヘア報告[1]
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リヒャルト・コルヘア(Richard Korherr、1903年10月30日 - 1989年11月24日)は、ドイツ統計学者であり[2]第二次世界大戦中のナチス親衛隊(SS)の統計局の主任統計官である[3]。最終的に親衛隊少佐まで昇進した[4]

生涯

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コルヘアは、1903年10月30日にバイエルン州レーゲンスブルクで生まれた。1926年に博士号を取得し、アドルフ・ヒトラーの台頭英語版までは帝国統計局ドイツ語版に勤務していた。1930年から1933年までバイエルンの反分離主義者の「帝国と故郷」委員会の議長(Vorsitzender)を務め、カトリック政党であるバイエルン人民党の党員になった。1934年1月1日、コルヘアが所属する部門はバイエルン統計局に移管された[5]。1935年から1940年まで、ヴュルツブルクの統計局長を務めた[5]。ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発した後の1940年12月9日、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーはコルヘアを親衛隊全国指導者のオフィスに連れて行き、再定住の進捗状況の調査を命じた[6]。コルヘアとSSとの信じられないような問題は、独ソ戦でのドイツ軍の進軍が止められてからであり、その結果、コルヘアに帰せられる最も非難される統計が生まれた[6]

コルヘア報告

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第二次世界大戦中、コルヘアはヒムラーの依頼で、1937年から1942年12月までに「特別処置英語版」(Sonderbehandlung。SSのコードネームで「大量殺人」のこと)の対象となったヨーロッパのユダヤ人の数を計算した。コルヘアは1943年1月にコルヘア報告を完成させ、同年3月23日に親衛隊中佐ルドルフ・ブラントに手渡した。この報告は、ドイツとその占領下のヨーロッパにおける、ユダヤ人の人口の現象に反映されるホロコーストの進行状況に関する16ページの文書だった。その中には、1943年の最初の3か月間における国外追放に関する7ページも含まれていた[7]。この報告は、"Die Endlösung der Judenfrage"(ユダヤ人問題の最終的解決)というタイトルで発表された。コルヘアは、ユダヤ人の人口は400万人減少し、そのうち127万4166人が「特別措置」によって収容所に送られたと計算した。「127万4166人」という正確な数字は、親衛隊少佐ヘルマン・ヘフレ英語版が1943年1月11日に送ったヘフレ電報英語版にも現れ、どちらもドイツ交通局が収集したデータを使用したことを示唆している。ヒムラーはこの文書をコルヘアに返し、犯罪行為を隠蔽するために「特別措置」という言葉をもっと婉曲な言い方にするように要求した。コルヘアはこの言葉を、通過収容所(Durchgangslager)を「通過」したことを示唆する"Durchgeschleust"に置き換えた。コルヘア報告の要約は、ブラントによってアドルフ・ヒトラーに届けられた[8]

戦後

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戦後、コルヘアは国家公務員として自動逮捕ドイツ語版の対象となり、1945年から1946年にかけて勾留されたが、ニュルンベルク裁判にはかけられなかった。これは、コルヘア報告が公表されていなかったためである。また、コルヘアは、1945年以前には「絶滅」について聞いたことがないと主張した[9]

後にコルヘアは西ドイツ連邦財務省に勤務した。1959年から1962年にかけて、エアランゲン=ニュルンベルク大学で講義を行った。

コルヘアは1989年11月24日にニーダーザクセン州ブラウンシュヴァイクで死去した。86歳だった。

脚注

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  1. ^ Chris Webb, H.E.A.R.T. (2009年). “The Richard Korherr Report”. HolocaustResearchProject.org. 2025年1月5日閲覧。
  2. ^ Georg von Mayr (1990). Allgemeines statistisches Archiv. Band 74. Vanderhoeck & Ruprecht. p. 156. https://www.google.com/search?tbm=bks&hl=en&q=%22Richard+Korherr%22+24.+November+1989 
  3. ^ Richard Korherr, Der Inspekteur für Statistik beim Reichsführer SS (1943年). “Die Endlösung der europäischen Judenfrage” [The Final Solution to the Jewish Question]. Berlin: NS-Archiv : Dokumente zum Nationalsozialismus : Korherr-Bericht, lange Fassung. 25 January 2016閲覧。
  4. ^ Deutschen Nationalbibliothek - Dr. Richard Korherr, SS-Sturmbannführer, Chef der Statistik beim SS-Reichsführer Himmler über die Ermordung der Juden Europas / Institute of Documentation in Israel. Hrsg. von T. Friedman
  5. ^ a b Götz Aly; Karl Heinz Roth (2000). Die restlose Erfassung: Volkszählen, Identifizieren, Aussondern im Nationalsozialismus. Frankfurt/M.: Fischer Taschenbuch Verlag. pp. 40–43. ISBN 3-596-14767-0  (also in) Jutta Wietog (2002). Volkszählungen unter dem Nationalsozialismus. Berlin: Duncker & Humblot. pp. 209–237. ISBN 3-428-10384-X 
  6. ^ a b Götz Aly; Karl Heinz Roth Edwin Black, Assenka Oksiloff訳 (2004). The Nazi Census: Identification and Control in the Third Reich. Temple University Press. pp. 31–32. ISBN 1-59213-259-6. https://books.google.com/books?id=U-GhQrKj9vQC&q=Korherr+Erlangen&pg=PA31 
  7. ^ Raul Hilberg (2003). The Destruction of the European Jews. Yale University Press. pp. 1304–1305. ISBN 0-300-09592-9. https://books.google.com/books?id=HinIpmliz2MC&q=Richard+Korherr&pg=PA1304 
  8. ^ Dr. Robin O'Neil (June 27, 2011) (English). The Rabka Four. Instruments of Genocide and Grand Larceny. A Warning from History. Spiderwize. p. xxvi. ISBN 978-1-908128-15-7. http://www.jewishgen.org/yizkor/Galicia3/gal000.html#f10r 
  9. ^ Ernst Klee, Das Personenlexikon zum Dritten Reich, Frankfurt 2005, ISBN 3-596-16048-0, p. 331.