リムリック伯爵
リムリック伯爵(リムリックはくしゃく、英: Earl of Limerick)は、アイルランド貴族の爵位。2度創設され、うち第2期が存続している。
歴史
[編集]第1期
[編集]ダブリンの長老議員ジョン・ダンガン(1546?–1592)の息子ウォルター・ダンガン(bef.1592–1626)は1623年10月23日にアイルランドの準男爵に叙された[1]。その息子である2代準男爵ジョン・ダンガン(1603–1650)はアイルランド庶民院議員を務めたが、1641年アイルランド反乱を経て1642年に追放された[1]。その息子である3代準男爵ウォルター・ダンガン(c.1628–1686)がアイルランド・カトリック同盟に加わった一方[2]、3代準男爵の弟ウィリアム・ダンガン(1630–1698)は加担しなかった[3]。これにより、イングランド共和国期に没収された領地を王政復古とともに1660年に返還され、さらに1662年2月14日にアイルランド貴族であるキルデア県クレーンにおけるダンガン子爵に叙された[3]。この爵位には特別残余権(special remainder)が規定され、初代子爵の男系子孫が断絶した場合は弟ロバート(1631–?)、マイケル(1633–?)、トマス(1634–1715)およびその子孫が継承できるとした[3]。1686年1月2日にはアイルランド貴族であるリムリック伯爵に叙されたが、この爵位にも特別残余権が規定され、初代伯爵の男系子孫が断絶した場合は弟トマスといとこにあたるトマス・ダンガン、およびその子孫が継承できるとした[3]。
初代伯爵はジャコバイトであり、名誉革命でジェームズ2世を支持したため私権剥奪された[4]。しかしその死後、弟トマス・ダンガンがリムリック伯爵位の継承を主張して認められた[4]。彼は兄の存命中よりニューヨーク総督を務めており、名誉革命後の1691年まで務めたほか[4]、兄の剥奪された財産の返還を求めたが、1715年に息子のないまま死去、爵位は廃絶したとされた[5]。
第2期
[編集]アイルランド国教会の聖職者ウィリアム・セシル・ペリー(1721–1794)はキラーラおよびアコンリー主教、リムリック、アードファートおよびアガドー主教を務め、1790年6月2日にアイルランド貴族であるマローのグレントワース男爵に叙された[6]。その息子にあたる2代男爵エドモンド・ヘンリー・ペリー(1758–1844)はトーリー党の政治家であり、アイルランド庶民院議員、アイルランド貴族代表議員を務め、1800年12月29日にアイルランド貴族であるリムリック市におけるリムリック子爵、1803年1月1日にリムリック伯爵に叙され、1815年8月11日に連合王国貴族であるクレア県スタックポール・コートにおけるフォックスフォード男爵に叙された[7]。
初代伯爵の曽孫にあたる3代伯爵ウィリアム・ヘイル・ジョン・チャールズ・ペリー(1840–1896)は保守党の政治家であり、侍従たる議員、女王衛士隊隊長を務めた[8]。
2015年時点の当主は3代伯爵の曽孫にあたる7代伯爵エドマンド・クリストファー・ペリー(1963–)である[9]。
(カースルトンの)ダンガン準男爵(1623年)
[編集]- 初代準男爵サー・ウォルター・ダンガン(1592年以前 – 1626年)
- 第2代準男爵サー・ジョン・ダンガン(1603年 – 1650年)
- 第3代準男爵サー・ウォルター・ダンガン(1628年ごろ – 1686年)
- 第4代準男爵サー・ウィリアム・ダンガン(1630年 – 1698年)
- 1662年、ダンガン子爵に叙爵。1686年、リムリック伯爵に叙爵
リムリック伯爵(1686年)
[編集]- 初代リムリック伯爵ウィリアム・ダンガン(1630年 – 1698年)
- ダンガン子爵ウォルター・ダンガン(1650年ごろ – 1690年)
- 第2代リムリック伯爵トマス・ダンガン(1634年 – 1715年)
グレントワース男爵(1790年)
[編集]- 初代グレントワース男爵ウィリアム・セシル・ペリー(1721年 – 1794年)
- 第2代グレントワース男爵エドモンド・ヘンリー・ペリー(1758年 – 1844年)
- 1800年、リムリック子爵に叙爵。1803年、リムリック伯爵に叙爵
リムリック伯爵(1803年)
[編集]- 初代リムリック伯爵エドモンド・ヘンリー・ペリー(1758年 – 1844年)
- 第2代リムリック伯爵ウィリアム・ヘンリー・テニソン・ペリー(1812年 – 1866年)
- 第3代リムリック伯爵ウィリアム・ヘイル・ジョン・チャールズ・ペリー(1840年 – 1896年)
- 第4代リムリック伯爵ウィリアム・ヘンリー・エドマンド・ド・ヴィアー・シェーファー・ペリー(1863年 – 1929年)
- グレントワース卿エドモンド・ウィリアム・クロード・ジェラード・ド・ヴィアー・ペリー(1894年 – 1918年)
- 第5代リムリック伯爵エドマンド・コフーン・ペリー(1888年 – 1967年)
- 第6代リムリック伯爵パトリック・エドマンド・ペリー(1930年 – 2003年)
- 第7代リムリック伯爵エドマンド・クリストファー・ペリー(1963年 – )
爵位の法定推定相続人は現当主の息子グレントワース子爵フェリックス・エドマンド・ペリー(1991年 – )で、その推定相続人はその弟にあたるアイヴォー・パトリック・ペリー閣下(1993年 – )である。
出典
[編集]- ^ a b Cokayne 1900, p. 253.
- ^ Cokayne 1900, p. 254.
- ^ a b c d Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1929, p. 660.
- ^ a b c Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1929, p. 661.
- ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1929, p. 662.
- ^ Cokayne, Gibbs & Doubleday 1926, p. 681.
- ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1929, p. 663.
- ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1929, p. 665.
- ^ "There once was an Earl of Limerick …". The Guardian (英語). 8 November 2015. 2024年5月9日閲覧。
参考文献
[編集]- Cokayne, George Edward, ed. (1900). The Complete Baronetage (1611–1625) (英語). Vol. 1. Exeter: William Pollard & Co. pp. 253–254.
- Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 681.
- Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Husee to Lincolnshire) (英語). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 660–666.