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リューベチ・シノディク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リューベチ・シノディクロシア語: Любецкий синодик)は、リューベチに伝わっていたシノディク[注 1]である。

概要

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リューベチ・シノディクは、1786年までアントニエフ・リューベチ修道院に、後にヴォスクレセンスキー教会に引き継がれていた[注 2]。その原本は消失しているが、19世紀後半に、軍人であり歴史学者であったG.ミロラドヴィチ(ru)と、チェルニゴフ(チェルニーヒウ大主教フィラレート(ru)によって出版された版がある。また19世紀後半のR.ゾトフ(ru)が詳細な研究を残している。

リューベチ・シノディクは、リューリク朝の一分家であるチェルニゴフ公家(オレグ家(ru))の公たちに関する重要な史料でもある。

脚注

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注釈

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  1. ^ 「シノディク」はロシア語: синодикの転写による。死者・生者などを記した、教会の記憶録の一種。辞書上では過去帳と訳される[1][2][3]。詳しくはru:Синодикを参照されたし。
  2. ^ 「アントニイ・リューベチ修道院」はロシア語: Антониевский Любечский монастырь、「ヴォスクレセンスキー教会」はロシア語: Воскресенская церковьの直訳による。

出典

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  1. ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、p996
  2. ^ 東郷正延ら編 『研究社露和辞典(携帯版)』 研究社、1988年、p2089
  3. ^ 和久利誓一ら編 『岩波ロシア語辞典』 岩波書店、1992年、p1762

参考文献

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  • Зотов Р. В.. О черниговских князьях по Любецкому синодику. — СПб.: Типография братьев Пантелеевых, 1892.
  • Квашнин-Самарин Н. По поводу Любецкого синодика // Чтения в Обществе Истории и Древностей Российских. — М., 1874. — С. 219—284.
  • Яценко Б. И. Любецкий синодик // Энциклопедия «Слова о полку Игореве»: В 5 томах / Рос. акад. наук. Ин-т рус. лит. (Пушкин. дом); Ред. кол.: Л. А. Дмитриев, Д. С. Лихачев, С. А. Семячко, О. В. Творогов (отв. ред.). — СПб.: Дмитрий Буланин, 1995. — Т. 3.