リリアン・ワトソン
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リリアン・ワトソン | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Lilian Mary Watson | |||
国籍 | イギリス | |||
出身地 | イングランド・ロンドン | |||
生年月日 | 1857年9月17日 | |||
没年月日 | 1918年5月27日(60歳没) | |||
死没地 | イングランド・バークスウェル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全英 | 準優勝(1884) | |||
リリアン・ワトソン(Lillian Watson, 1857年9月17日 - 1918年5月27日)は、イングランド・ロンドン生まれの女子テニス選手。1884年に第1回大会が行われたウィンブルドン選手権女子シングルス部門で、妹のモード・ワトソンとの「姉妹対決の決勝」に敗れて準優勝になった選手である。
来歴
[編集]世界最古のテニス・トーナメントであるウィンブルドン選手権は、1877年に「オール・イングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」で第1回大会が行われた。最初は男子シングルスのみで始まり、初代優勝者はスペンサー・ゴア(1850年 - 1906年)であった。女子シングルスはそれから7年遅れて1884年に第1回の競技大会が行われた。参加選手は13名で、決勝戦はリリアン・ワトソンと7歳年下の妹モード・ワトソンとの“姉妹対決”になった。リリアンは妹のモードに 8-6, 3-6, 3-6 の逆転で敗れ、ウィンブルドン選手権で第1回女子シングルス優勝者になることはできなかった。
ウィンブルドン選手権の女子シングルスでは、第3回大会の1886年から、大会前年優勝者を除く他の選手たちが「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round、挑戦者決定戦)を1回戦から勝ち抜き、それを制した選手が前年優勝者と決勝を戦う「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)方式で優勝を決定した。リリアンは1886年の女子シングルス「チャレンジ・ラウンド」でベスト4に入ったが、ブランチ・ビングリー(1863年 - 1946年)に 3-6, 6-8 で敗れた。リリアンとモードのワトソン姉妹は、1886年を最後にウィンブルドン選手権から退いた。姉のリリアンは1918年5月27日に60歳で亡くなり、妹のモードほど長生きできなかった。
第1回ウィンブルドン選手権で行われたリリアンとモードの「ワトソン姉妹対決の決勝」から117年後、2001年の全米オープン女子シングルス決勝で、ビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹が「姉妹対決の決勝」を実現させた。この決勝対決は、ウィンブルドン選手権でも2002年・2003年・2008年・2009年の4度実現する。2017年全豪オープンまで総計9回行われた黒人姉妹の決勝対決は、妹のセリーナが「7勝2敗」で大きく勝ち越している。
参考文献
[編集]- Lance Tingay, “100 Years of Wimbledon” (ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0 本書からは、150ページの女子シングルス抽選表を参照した。
- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 リリアンの生没年月日が分かる唯一の資料が、妹モードに関する説明文の中に含まれている。