リルイーティー

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リルイーティー
欧字表記 Lil E. Tee
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1989年3月29日[1][2]
死没 2009年3月18日[1][3]
At the Threshold
Eileen's Moment
母の父 For the Moment
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Larry Littman[1][2]
馬主 Al Jevremovic
→W. Cal Partee[1]
調教師 Michael T. Trevigno
→Lynn Whiting[1]
競走成績
生涯成績 13戦7勝[1][2]
獲得賞金 1,437,506ドル[1][2]
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リルイーティーLil E. Tee, 1989年3月29日 - 2009年3月18日)は、アメリカ合衆国競走馬種牡馬。1992年のケンタッキーダービーに優勝した。

経歴[編集]

  • 特記がない限り、競走はすべてダートコース

出自[編集]

ペンシルベニア州のピンオークレーン牧場で生まれたサラブレッドの牡馬である。名前は生産者であるローレンス・I・リットマンの冠名である「Lil」に、ひょろ長い不恰好な姿からスティーヴン・スピルバーグの映画『E.T.』をもとに「E. Tee」がつけられた[4]

リルイーティーは血統的にも強調材料が乏しかった。父アットザスレッショルドはG1競走2勝の実績馬であったが、生涯で出したステークス勝ち馬はリルイーティーを含めて8頭と種牡馬成績は貧弱であった[5]。また母エイリーンズモーメントは6戦未勝利に終わった馬であった。

また、当歳の頃に疝痛で命の危機に晒され、手術したこともあった。リットマンは同馬を1歳時に2000ドルで売却したが、その後2歳時にフロリダ州オカラのトレーニングセールに再び上場され、そこでアル・イェヴレモヴィッチに25,000ドルで落札された[2]

2歳時(1991年)[編集]

リルイーティーのデビュー戦は1991年9月28日のコールダー競馬場で、6ハロンの未勝利戦で2着であった。その次の7ハロンの未勝利戦で11馬身半差の大差をつけて初勝利を手にすると、これに目を付けたW・キャル・パーティーがイェヴレモヴィッチから20万ドルで同馬を購入した[1]。その後一般戦を2戦使って1勝を挙げ、4戦2勝でこの年を終えている。

3歳前半(1992年)[編集]

3歳シーズンはアーカンソー州から始動、オークローンパーク競馬場のサウスウェストステークス(L・8ハロン)で3着であった。続くターフウェイパーク競馬場のジムビームステークス(G2・9ハロン)で優勝し、初の重賞勝ちを収めた。同州路線の大一番であるアーカンソーダービー(G2・9ハロン)ではパインブラフ英語版を相手にクビ差の2着に入っている。

ケンタッキーダービー(1992年)[編集]

この年のケンタッキーダービー(G1・10ハロン)で本命と目されていたのは、前年アメリカとヨーロッパでそれぞれ最優秀2歳牡馬に選出されたアラジで、リルイーティーは最終オッズで単勝17.80倍と大穴扱いであった[6]。レースが始まるとリルイーティーはゆっくりと中団10番手に構え、バックストレッチでは内側に位置して進めていった。そして第3コーナーを回るところから大きく外側に出て他馬を追い抜きだし、最後の直線で先頭に立っていたカジュアルライズを1馬身差し切ってゴール、優勝を手にした[7]。鞍上を務めたパット・デイは10度目のダービー挑戦にして初の戴冠となった。また、リルイーティーの勝利はペンシルベニア州産馬として初のダービー制覇でもあった[3]

その後[編集]

ケンタッキーダービーの後はプリークネスステークス(G1・9.5ハロン)に出走して5着に敗れている。この後、リルイーティーは肺を患ったためベルモントステークスを回避している。さらに飛節に骨片が生じたため手術に入り、翌年まで休養を要した[3]

4歳になった1993年の2月に復帰し、オークローンパークの一般戦(6ハロン)で勝利、続くレイザーバックハンデキャップ(G2・8.5ハロン)で優勝した。その後オークローンハンデキャップ(G1・9ハロン)で2着に入ったのち、怪我のため7月になって引退が発表された[3]

種牡馬入り後[編集]

競走馬引退後、リルイーティーはケンタッキー州レキシントン近郊のオールドフランクフォート牧場に繋養された。ジョッキークラブの調べによれば、リルイーティーの産駒332頭のうち171頭が勝ち上がり、17頭がステークス競走に優勝したとある[1]

のちの2009年3月18日、リルイーティーは内臓疾患の合併症のために安楽死の処置を施された[3]

血統表[編集]

リルイーティー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 バックパサー系
[§ 2]

At the Threshold
栗毛 1981
父の父
Norcliffe
鹿毛 1973
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Drama School Northern Dancer
Stalina
父の母
Winver
栗毛 1972
Vertex The Rhymer
Kanace
Windsor Lady Prince John
June Fete

*エイリーンズモーメント
Eileen's Moment
黒鹿毛 1982
For the Moment
栗毛 1974
What a Pleasure Bold Ruler
Grey Flight
Tularia Tulyar
Suntop
母の母
Sailaway
鹿毛 1976
Hawaii Utrillo
Ethane
Quick Wit Shannon
Witty
母系(F-No.) (FN:23-b) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [8], [9]
  2. ^ [9]
  3. ^ [8], [9]
  4. ^ [8], [9]


脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Avalyn Hunter. “Lil E. Tee (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年8月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e Lil E. Tee (PA)”. EQUIBASE. 2021年8月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e Derby Winner Lil E. Tee Euthanized”. Blood-horse (2009年3月23日). 2021年8月19日閲覧。
  4. ^ Ross Peddicord (1992年5月4日). “From start as ugly E.T., Lil E. Tee blossoms into a rose Kentucky Derby notes”. THE BALTIMORE SUN. 2021年8月19日閲覧。
  5. ^ At the Threshold, Sire of Derby Winner Lil E. Tee, Dead”. Blood-horse (2002年3月28日). 2021年8月19日閲覧。
  6. ^ Kentucky Derby Grade 1”. EQUIBASE. 2021年8月19日閲覧。
  7. ^ 1992”. kentuckyderby.com. 2021年8月19日閲覧。
  8. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Lil E. Tee(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年8月19日閲覧。
  9. ^ a b c d Lil E. Teeの血統表”. netkeiba.com. 2021年8月19日閲覧。