ルイス・イリサール
ルイス・イリサール | |
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生誕 |
1930年5月30日 キューバ ラ・アバーナ州ハバナ |
死没 |
2021年12月9日(91歳没) スペイン ギプスコア県サン・セバスティアン |
公式サイト |
escuelairizar |
料理人歴 | |
様式 | 新バスク料理 |
ルイス・イリサール・サモーラ(Luis Irizar Zamora, 1930年5月30日 - 2021年12月9日)は、キューバ共和国ハバナ生まれのバスクの料理人、教育者。
スペインのバスク地方で活動し、新バスク料理運動の牽引者となった。
経歴
[編集]両親はバスク地方のギプスコア県サン・セバスティアン出身である[1][2]。父親は建築業を営んでおり、母親の家族はバスク・ペロタの選手向けの宿泊所を営んでいた[1]。かつてスペインの植民地だったキューバの首都ハバナにて、1930年にルイス・イリサールが生まれた[2]。4歳の時にサン・セバスティアンに戻り、16歳の時にマリア・クリスティーナ・ホテルの料理人見習いとなった[3][4]。フランス・パリのレストラン・ル・ロイヤル・モンソー、イギリス・ロンドンのヒルトン・ホテルなどでも働き[3]、ヒルトン・ホテルでは総料理長を務めた[4]。
37歳だった1967年には、ギプスコア県サラウツにある「ホテル・ユーロマール」附属のホテル学校として、ユーロマール・ホテル学校を開校させた[3]。この学校では料理技術だけではなく、ホテル経営全般を指導している[1]。日本の北海道函館市出身の深谷宏治は、1975年に渡欧してイリサールの下で修業を行った後、1981年に「レストラン・バスク」を開業させた[5]。深谷は「スペイン料理フォーラム in HAKODATE」の発起人であり、「函館西部地区バル街」の発案者でもある[5]。
62歳だった1992年11月には、サン・セバスティアンにルイス・イリサール料理学校を開校させた[1][3][4][6]。当時の料理界では「技術は盗んで覚える」のが常識だったが、ユーロマールでは午前中に講義と実技、午後にレストランで研修という革新的なプログラムを組んだ[2]。この学校は後に新バスク料理運動に携わる者を何人も輩出しており、カルロス・アルギニャーノ[1]、ペドロ・スビハナ[1]、ホセ・ラモン・エリソンド[1]、ラモン・ロテータなどがいる。
2021年12月9日、91歳で死去[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 日本経済新聞出版社 & 2012-12.
- ^ a b c 文藝春秋 2013, p. 67.
- ^ a b c d Vol 11. 料理技術のデータオープン化の第一人者 ルイス・イリサール氏の料理学校 コープさっぽろ
- ^ a b c 文藝春秋 2013, p. 66.
- ^ a b 情熱の仕事人。「食」と「街」をつないで函館を発信。レストラン バスク「深谷宏治」 Hokkaido Likers、2015年8月14日
- ^ “Luis Irizar / Chef - Elkarrizketa - Euskonews & Media”. Eusko News. 31 July 2010閲覧。
- ^ “Luis Irizar, el 'maestro de maestros' de la cocina vasca, fallece a los 91 años” (スペイン語). El Diario Vasco. (2021年12月9日) 2021年12月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 「サン・セバスチャンが「世界一美味しい街」と言われる理由」『CREA Traveller』2013年冬号、文藝春秋、66-67頁。
- 石井至「少人数でトップ・シェフ候補を徹底育成 ルイス・イリサール料理学校」『ducare』14号、日本経済新聞出版社、2012年12月、99-101頁。