ルイス・デ・カストレサナ
ルイス・デ・カストレサナ Luis de Castresana | |
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誕生 |
1925年5月7日 スペイン王国、ビスカヤ県 バリェ・デ・トラパガ |
死没 |
1986年7月17日(61歳没) スペイン、バスク自治州 ビスカヤ県 ビルバオ |
職業 | 長編小説・随筆・短編小説・伝記 |
言語 | スペイン語 |
国籍 | スペイン |
主な受賞歴 |
スペイン国民文学賞(1967年) ファステンラス賞(1974年) |
ウィキポータル 文学 |
ルイス・デ・カストレサナ・ロドリゲス(Luis de Castresana y Rodriguez, 1925年5月7日 – 1986年7月17日)は、スペイン・ビスカヤ県出身の著作家・ジャーナリスト・画家。スペイン語で執筆した。『もう一つのゲルニカの木』の著者として知られている。
経歴
[編集]両親ともにビスカヤ県・ビルバオ出身であり、父親は工場労働者だった[1]。1925年、ルイス・デ・カストレサナはビスカヤ県・バリェ・デ・トラパガに生まれ、幼少時代にバラカルドに引っ越して公立学校で学んだ[1]。11歳だった1936年にスペイン内戦が勃発し、妹とともに親元を離れてベルギーのブリュッセルに疎開した[1]。14歳の時にバラカルドに戻ると、電気工、左官、フランス語翻訳、タイピスト、保険事務、英語通訳などとして働いた[2]。1940年代には様々な仕事をしながら夜間に執筆活動を行い、16歳のときに最初の本を出版し、17歳の時に自身初の記事として、詩人のガブリエラ・ミストラルに関する記事を発表した[2]。1953年には結婚してマドリードに移り、新聞や雑誌記事を書く傍らで、オランダ、オーストリア、イギリスの新聞の通信員、ラジオ・ネーデルラント、英国放送協会(BBC)などで働いた[2]。その後アムステルダム大学に行ったこともあった[2]。
1967年にはスペイン内戦時の疎開体験を『もう一つのゲルニカの木』として書き、スペイン国民文学賞(セルバンテス賞[3])を受賞した[2]。スペイン内戦について国外で書かれた本は数多くあったが、敗者の側から記した本としては、スペインで初めて出版された本である[4]。初版はわずか600部だったが、徐々に広まって多くの人々に読まれるようになり、最終的には版を重ねて数十万部の売り上げを記録した[2]。英語、フランス語、バスク語、アラビア語などに翻訳され、1991年には狩野美智子訳で平凡社が日本語版を出版した。スペイン国外では大学のテキストとしても使用され、1969年にはペドロ・ラサガ監督が『もう一つのゲルニカの木』(小説と同名)という映画を製作した。1970年には『ラ・モンハ・アルフェレス』などで、スペイン王立アカデミーのファステンラス賞を受賞した[5]。同年には『ある魔女の物語』でプラネータ賞の最終候補に残ったが[5]、最終的にはアルゼンチン人作家のマルコス・アギニスが受賞した。1970年にはビルバオに戻り[4]、『もう一つのゲルニカの木』の反響の大きさから、1972年には『「もう一つのゲルニカの木」の真実』という本を出版した[2]。1986年7月17日、ビルバオで死去した[4]。
作品
[編集]小説
[編集]- Cocktail de amor, circo y tragedia (マドリード、マシア・アロンソ社、1949年)
- Los Wallace somos así (ビルバオ=マドリード、ラ・ナベ社、1950年)
- Nosotros los leprosos (ビルバオ、ESM出版、1950年)
- Gente en el hotel (マドリード、カリェハ出版、1951年)
- La posada del Bergantín (バルセロナ、カラルト出版、1953年)
- Un puñado de tierra (バルセロナ、カラルト出版、1955年)
- La muerte viaja sola (マドリード、カリェハ出版、1955年)
- The Sower (ロンドン、フォー・スクエア・ブックス社、1961年)
- La frontera del hombres (バルセロナ、プラサ&ハネス社、1964年)
- El otro árbol de Guernica (ビルバオ、エル・アレナル社、1967年)
- 日本語訳『もう一つのゲルニカの木』狩野美智子訳、平凡社、1991年
- Adiós (マドリード、プレンサ・エスパニョーラ社、1969年)
- Retrato de una bruja (バルセロナ、プラネータ社、1970年)『ある魔女の物語』
- Orquídeas para la médium (ビルバオ、ラ・グラン・エンシクロペディア・バスカ社、1976年)
- Montes de hierro (ビルバオ、ラ・グラン・エンシクロペディア・バスカ社、1982年)
- El sembrador (ビルバオ、エル・コレオ=エル・プエブロ・バスコ新聞社、1986年)
随筆
[編集]- Europa de punta a punta (ビルバオ、パウリナス出版、1960年)
- Inglaterra vista por los españoles (バルセロナ、プラサ&ハネス社、1965年)
- Medicina pintoresca y peripatética (ビルバオ、パウリナス出版、1985年)
- Elogios, asperezas y nostalgias del País Vasco (ビルバオ、ラ・グラン・エンシクロペディア・バスカ社、1968年)
- La verdad sobre El otro árbol de Guernica (ビルバオ、ラ・グラン・エンシクロペディア・バスカ社、1972年)『「もう一つのゲルニカの木」の真実』
- Do, re, mi y un poco de estética (ビルバオ、アマネセル社、1974年)
- Perfiles musicales (ビルバオ、アマネセル社、1974年)
短編
[編集]- El sepulturero (ビルバオ、アマネセル社、1946年)
- Cuentos del dolor de vivir (ビルバオ、R・ヒル社、1984年)
- Josechu y la señora (マドリード、1953年)
- Spaanse Verhalen (Utrech, Prisma Boeken, 1953年)
- Maite y otras fabulaciones vascas (マドリード、クニリェラ社、1972年)
- Nadie moría en Ceánuri (ビルバオ、ビルバオ市立貯蓄銀行出版、1973年)
伝記
[編集]- Dostoyevski (バルセロナ、カラルト社、1953年)
- Rasputín (バルセロナ、カラルト社、1956年)
- Neurotic or Saint (ロンドン、アキン・プレス、1962年)
- El Padre Pío de Pietralcina (エディシオネス・パウリナス、1962年)
- Catalina de Erauso, la monja alférez (マドリード、アフロディシオ・アグアド、1968年) 『ラ・モンハ・アルフェレス』
- José María de Iparraguirre (ビルバオ、ビスカヤ貯蓄銀行、1976年)
受賞
[編集]- 1967年 スペイン国民文学賞[3] - 『もう一つのゲルニカの木』
- 1970年 ファステンラス賞 - 『ラ・モンハ・アルフェレス』
脚注
[編集]文献
[編集]- 参考文献
- 関連文献
- カストレサナに関する伝記
- VVAA: Homenaje a Luis de Castresana, Colección Temas vizcaínos, año XIII, nº 150、ビスカヤ県、1987年
- Jacinto Fontes Ariño: El mundo vasco en la obra de Luis de Castresana, ビルバオ、ラ・グラン・エンシクロペディア・バスカ社、1972年
- José Gerardo Manrique de Lara: Luis de Castresana, escritor vasco en ejercicio, エル・リブロ・エスパニョール社、1975年、pp. 451-453