ルイ・アルマン2世 (コンティ公)
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ルイ・アルマン2世・ド・ブルボン=コンティ Louis Armand II de Bourbon-Conti | |
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第4代コンティ公 | |
在位 | 1709年 - 1727年 |
出生 |
1696年11月10日 フランス王国、ヴェルサイユ宮殿 |
死去 |
1727年5月4日(30歳没) フランス王国、パリ |
配偶者 | ルイーズ・エリザベート・ド・ブルボン=コンデ |
子女 |
ルイ・フランソワ1世 ルイーズ・アンリエット |
家名 | ブルボン=コンティ家 |
父親 | コンティ公フランソワ・ルイ |
母親 | マリー=テレーズ・ド・ブルボン=コンデ |
ルイ・アルマン2世・ド・ブルボン=コンティ (Louis Armand II de Bourbon-Conti, comte de La Marche, d'Alais, de Beaumont-sur-Oise et de Pézenas, prince de Conti, duc de Mercœur, seigneur de L'Isle-Adam, 1696年11月10日 - 1727年5月4日)は、フランスの貴族。第4代コンティ公。
生涯
[編集]コンティ公フランソワ・ルイと妻マリー=テレーズ・ド・ブルボン=コンデの長男として、ヴェルサイユで生まれた。
ルイ・アルマン2世はルイ14世と摂政オルレアン公フィリップ2世に多大な寛容さを持って扱われた。スペイン継承戦争においてクロード・ド・ヴィラール元帥の下で従軍するが、彼は父親のような軍事の才能に欠けていた。
1713年、母方の従姉であるルイーズ・エリザベート・ド・ブルボン=コンデと結婚した。なお、同時期にルイ・アルマンの姉マリー・アンヌがルイーズ・エリザベートの兄ブルボン公ルイ・アンリと結婚している。ルイ・アルマンはルイーズ・エリザベートとの間に1男1女をもうけた。
- ルイ・フランソワ1世(1717年 - 1776年)
- ルイーズ・アンリエット(1726年 - 1759年)
彼は経済学者ジョン・ローの揺るぎない後援者であり、多大な額の金をもうけた。
参考文献
[編集]- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Conti, Princes of". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
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