ルイ・ラトゥーシュ

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ルイ・ラトゥーシュ(Louis Latouche、1829年9月29日 - 1883年8月24日)はフランスの画家、画材商、画商である。多くの若い画家の友人であり、援助もした。第1回印象派展に出展したメンバーの一人である。

略歴[編集]

セーヌ=エ=マルヌ県のLa Ferté-sous-Jouarreで生まれた。1864年にはパリのピガール通りに額縁や画材の店を持ち、画商としても働いた。店は1865年にはサントーギュスタン通り、1868年からはラファイエット通りにあった[1]バルビゾン派の画家や印象派の画家の友人で、顧客にはアマチュア画家のポール・ガシェや画家、版画家のアマン・ゴーティエらがいて、彼らと北フランスのベルクを旅することもあった。カミーユ・ピサロクロード・モネフレデリック・バジールピエール=オーギュスト・ルノワールアルフレッド・シスレーといった若い画家の作品を店に展示し、絵が売れるのを助けた[2]。ラトゥーシュの店は夜には若い画家が集まる場所でもあった。マネの作品のいくつかは自ら購入した。1870年頃から画商のポール・デュラン=リュエルが印象派の画家の作品を購入するようになった後は、作品の展示と販売は止めたが、若い画家の支援は続けた。

1866年からパリ近くの風景や海岸の風景を描いた作品をサロン・ド・パリに出展をはじめ、亡くなる1882年までほぼ毎年、サロンに応募した[3]。1870年の展覧会のカタログにはジャン=バティスト・カミーユ・コローの弟子であると記載された[3]。1867年にラトゥーシュの作品はサロンで落選し[3]、この時、シスレーらと落選展の開催を話し合ったが実現しなかった。1873年にもサロンに落選し、1874年から開かれるに再び開かれるようになった落選展に出展された。[2]

ラトゥーシュは1874年に第一回印象派展を開催した"La Société Coopérative des peintres"(画家協同組合)のメンバーになり、第一回印象派展には4点の作品を出展した。イタリアの美術史家、リオネロ・ヴェントゥーリ( Lionello Venturi)によれば、絵画のスタイルはシスレーやモネ、ピサロに学んだものだったとされる[3]

参考文献[編集]

  1. ^ Guide Labreuche
  2. ^ a b Bernard Vassor, Le Père Latouche, le marchand de couleurs de la rue Lafitte.
  3. ^ a b c d Louis Latouche (1829-1883) op Impressionism.nl.