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ルドアメン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルドアメンRudamun、在位:紀元前759 ‐ 755年頃)は古代エジプト第23王朝の第6代または7代目ファラオ。一説では最後のファラオとも見なされる。即位名はウセルマアトラー・セテプエンアメン[1]

Rudamun
ルドアメンのカルトゥーシュが飾られた小さなガラスの花瓶
ルドアメンのカルトゥーシュが飾られた小さなガラスの花瓶
古代エジプト ファラオ
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概要

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オソルコン3世の息子で先代の王タケロト3世の兄弟だった[2]。近年ヘルモポリスで出土した像の断片から、少なくとも父兄から受け継いだヘラクレオポリスからテーベに及ぶ上エジプトの王国の統一を維持していたことが判明している[3]

ルドアメンの短い治世の後、王国はヘラクレオポリスのペフチャウアバステトや、ヘルモポリスのニムロト、テーベのイニ等、より小規模な豪族の統治する国々に分裂した。そのため一部の研究者はルドアメンを23王朝の最後の王とみなしている。一方、ペフチャウアバステトはルドアメンの娘イルバステトウジャネフの夫で、王の義理の息子にあたるため[4]、ペフチャウバステトまでを第23王朝に含める研究者もいる。また、第23王朝の本拠であるテーベを継承したイニをも同じ王朝に含める場合もある[2]

備考

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一部のエジプト学者は、ワディ・ガサスから出土した落書きに記された匿名の王の治世19年目の日付がルドアメンの時代のものであると主張している。しかし最新の研究は、落書きがむしろ第25王朝時代、おそらくピアンキの治世に書かれた物である事を示している[5] [6] 。 

また、この落書きをナイルの水位記録No. 3と関連付けて未知の王シェションク7世のものであるとする説もある[4]。しかし他の多くの学者は、王の治世5年目の日付を含むこの記録をオソルコン3世の息子であるタケロト3世のものであると考えている。

脚注

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出典

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  1. ^ クレイトン 1998, p.236
  2. ^ a b ドドソン, ヒルトン 2012, p.224
  3. ^ Perdu, Olivier; "Le Roi Roudamon en personne!" ("King Rudamun in Person!"), RdE 53 (2002), pp.151-178.
  4. ^ a b Broekman, Gerard, "The Chronological Position of King Shoshenq Mentioned in Nile Level Record No. 3 on the Quay Wall of the Great Temple of Amun at K。arnak", SAK 33 (2005)
  5. ^ Claus Jurman, Die Namen des Rudjamun in der Kapelle des Osiris-Hekadjet. Bemerkungen der 3. Zwischenzeit un dem Wadi Gasus-Graffito, GM 210 (2006), pp.69-91
  6. ^ Jurman, GM 210, pp.68-91

注釈

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参考文献

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  • ピーター・クレイトン 著、藤沢邦子 訳、吉村作治監修 編『古代エジプト ファラオ歴代誌』創元社、1999年4月。ISBN 4422215124 
  • エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン『全系図付エジプト歴代王朝史』池田裕訳、東洋書林、2012年5月。ISBN 978-4-88721-798-0 
  • Kitchen, Kenneth Anderson (1986) (英語). The Third Intermediate Period in Egypt, 1100-650 B.C.. Aris & Phillips. ISBN 9780856682988. https://books.google.com/books?id=vde0QgAACAAJ 
先代
タケロト3世
古代エジプト王
171代
紀元前759 ‐ 755年頃
次代
ペフチャウアバステト