ルドルフ3世 (ハッハベルク=ザウゼンベルク辺境伯)
ルドルフ3世、ハッハベルク=ザウゼンベルク辺境伯 ドイツ語: Markgraf Rudolf III. von Hachberg-Sausenberg | |
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レッテルンのガルス教会にあるルドルフ3世の墓碑に刻まれた肖像 | |
配偶者 |
リヒテンベルクのアーデルハイト フライブルク=ノイエンブルクのアンナ |
家名 | ツェーリンゲン家 |
父親 | ルドルフ2世、ハッハベルク=ザウゼンベルク辺境伯 |
母親 | ティールシュタインのカタリーナ |
埋葬 | レッテルンのガルス教会 |
ルドルフ3世(ドイツ語: Rudolf III、1343年 - 1428年)は、ハッハベルク=ザウゼンベルク辺境伯ルドルフ2世とティーエルシュタインのカタリーナの息子である。彼は、1352年に父が亡くなった後、ハッハベルク=ザウゼンベルクを継承したが、当時まだ未成年であったため、叔父のオットー1世が摂政を務めた。成人後、ルドルフ3世とオットー1世は共同で統治を行い、1384年にオットーが亡くなるまで続いた。ルドルフ3世は、ハッハベルク=ザウゼンベルク辺境伯の中で最も重要な人物とされている[1]。
統治
[編集]建設活動
[編集]ルドルフ3世は多くの建設プロジェクトを開始した。1360年に彼の居城であるレッテルン城に二つの門楼、大規模な建物一つ、そして塔を加えた。1387年と1392年にも大規模な建物が追加された。1401年には、レッテルン村に教会(現在は福音主義教会)を建設し、1418年にこの教会を彼の領土の主要教会に拡張した。ルドルフ3世と彼の二度目の妻アンナの墓碑は、この教会内にあり、上ライン地方のゴシック美術の重要な例とされている[2]。
領土の拡張
[編集]ルドルフ3世は長い治世の間に、その領土を大きく拡大した。主な事例として以下が挙げられている
- 1365年、ハッティンゲン村をバーゼルの司教と交換し、ヘルシュタインを獲得[3]。
- 1366年、叔父オットー1世からザウゼンベルクの分割地を獲得。
- 1368年、ミュンヒ家の騎士コンラート・フォン・ミュンヒからヴァイル・アム・ライン、ヴィンタースヴァイラー、ヴェルムリンゲンの村、およびハルティンゲンの数か所の荘園、さらにオトリコンの村と城(フリートリンゲン城)を購入[4]。また、ハウエンシュタイン家のヴィルヘルム・フォン・ハウエンシュタインとその息子ヘンマン・フォン・ハウエンシュタインからドッセンバッハを購入した[5]。
- 1394年、フライブルク伯コンラート3世と共にバーゼル司教コンラート・ミュンヒからブライスガウの修道院領を封地として授与された[6]。
- 1400年、ノイエンシュタイン領(ゲルスバッハ、シュレヒトバッハ、ライトバッハ、キュルンベルク、シュヴァイクマットを含む)を購入した。ノイエンシュタイン城はザンクト・ブラジエン修道院の所有であったが、1401年には修道院がノイエンシュタイン城に対する権利を放棄した[7]。
結婚と子女
[編集]ルドルフ3世は1373年にリヒテンベルクのアーデルハイトと結婚し[8][9]、その後1387年にフライブルク=ノイエンブルクのアンナと再婚した。1387年2月13日、ルドルフ3世はフライブルクのコンラート3世とノイエンブルクのエルゼとの間でアンナの婚姻契約を結んだ。アンナの持参金は12000フローリンで、その一部はゼンハイムの市と地域に相当し、イシュタイン城が含まれていた。アンナとの間に7人の息子と6人の娘をもうけた[10]。1407年の時点で生存していたのは息子3人と娘5人。そのうち1人の息子と3人の娘は1419年にペストの犠牲となった[11]。息子のオットー3世・フォン・ハッハベルク(1388年 - 1451年)は1411年から1434年までコンスタンツ司教を務め、1415年にコンスタンツ公会議でヤン・フスの処刑に関与した。ルドルフ3世を継承したのは、最年少のヴィルヘルムであった。
歴史小説
[編集]- Elke Bader: Anna von Rötteln — im Hagelsturm der Begierde, Jakobus-Verlag, Barsbüttel, 2008, ISBN 978-3-940302-11-3(アンナ・フォン・レッテルンはアンナ・フォン・フライブルクと同一人物)
ギャラリー
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墓所となる壁龕
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墓を覆う砂岩板に刻まれたルドルフ3世の像
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墓を覆う砂岩板に刻まれたアンナの像
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ルドルフ3世の印章
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教会に掲げられた銘板
脚注
[編集]- ^ Fritz Schülin: Rötteln-Haagen, Beiträge zur Orts-, Landschafts- und Siedlungsgeschichte, Lörrach 1965; p. 65.
- ^ Karl Seith: Die Burg Rötteln im Wandel ihrer Herrengeschlechter, Ein Beitrag zur Geschichte und Baugeschichte der Burg, Röttelbund e.V., Haagen, undated
- ^ Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050–1515, h677、678 ;Textarchiv – Internet Archive
- ^ Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050–1515, h690 ;Textarchiv – Internet Archive
- ^ Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050–1515, h692 ;Textarchiv – Internet Archive
- ^ Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050–1515, h799、800 ;Textarchiv – Internet Archive
- ^ Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050–1515, h859 ;Textarchiv – Internet Archive
- ^ Schubring: Rötteler Chronik, S. 77, Fußnote 58 auf S. 193
- ^ Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050–1515, h719、h729; Textarchiv – Internet Archive
- ^ Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050–1515, h752 ; Textarchiv – Internet Archive
- ^ Schubring: Rötteler Chronik, S. 161
参考文献
[編集]- Fritz Schülin: Rötteln-Haagen, Beiträge zur Orts-, Landschafts- und Siedlungsgeschichte, Lörrach 1965, p. 65.
- Fritz Schülin: Binzen, Beiträge zur Orts-, Landschafts- und Siedlungsgeschichte, Schopfheim 1967, p. 523-524(ハッハベルク=ザウゼンベルク家の系図を含む)
- Karl Seith: Die Burg Rötteln im Wandel ihrer Herrengeschlechter, Ein Beitrag zur Geschichte und Baugeschichte der Burg, Röttelbund e.V., Haagen, undated, p. 6, cited in Schülin in: Das Markgräflerland, vol. 3, issue 1, 1931
- Gerhard Möhring: Chronologie zu Markgraf Rudolf III. von Hachberg, Herr zu Sausenberg und Rötteln (1343-1428), in: Das Markgräflerland, vol. 1, p. 53-63, Schopfheim, 2001
- Richard Fester, ed (1892). Regesten der Markgrafen von Baden und Hachberg 1050 – 1515. インスブルック: Baden Historical Commission
- Johann Christian Sachs: Einleitung in die Geschichte der Marggravschaft und des marggrävlichen altfürstlichen Hauses Baden, Frankfurt and Leipzig, 1764, part 1 - Google ブックス
- ルドルフ3世他 Klaus Schubring訳 (1995). Rötteler Chronik 1376–1432. レラハ: Verlag Waldemar Lutz. ISBN 3-922107-35-4
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]ルドルフ3世 (ハッハベルク=ザウゼンベルク辺境伯)
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先代 ルドルフ2世 共同統治者: オットー1世 |
ハッハベルク=ザウゼンベルク辺境伯 1352-1428 同職:オットー1世 (1384年まで) |
次代 ヴィルヘルム |