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ルースレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルースレス
欧字表記 Ruthless
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1864年
死没 1876年
Eclipse II
Barbarity
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Francis Morris
馬主 Francis Morris
調教師 A.J.Minor (アメリカ
競走成績
生涯成績 11戦7勝
獲得賞金 11,000ドル
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ルースレスRuthless1864年 - 1876年)はアメリカ合衆国競走馬繁殖牝馬。第1回ベルモントステークスの勝ち馬で、"バルバロスバタリオン" (Barbarous Battalion) と呼ばれた姉妹の一頭。1975年にはアメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選出された。

経歴

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母バルバリティは名種牡馬レキシントンの競走馬時代の所有者であるリチャード・テン・ブロウクの所有馬として走り、マッチレースで3勝するなどの成績を残した。その後、フランシス・モリスとの間で揉め事があり、ブロウクは和解の条件の一部としてバルバリティをモリスに譲った。モリスの所有となったバルバリティは同じくブロウクから譲られたエクリプスII(18世紀の名馬であるエクリプスがいるためエクリプスIIと表記される)を種付けされルースレスが誕生した。その後もモリスはバルバリティにエクリプスIIを種付けし続け、優秀な成績の牝馬を4頭生んでいる。ルースレスの姉妹は母バルバリティの名から"バルバロスバタリオン"と呼ばれた。

戦績

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1866年は4戦して2勝をあげ、ナーサリーステークスなどに勝利した。1867年は7戦して5勝2着2回の成績を残した。第1回のベルモントステークスジェロームパーク競馬場の13ハロン(約2615メートル)、4頭立てで行われ、出走馬中牝馬はルースレスだけであったが2着のDeCourceyにアタマ差で勝利した。ベルモントステークスを制した牝馬は他に第39回優勝馬のタニヤと第139回優勝馬のラグズトゥリッチズの2頭だけである。その後の第4回トラヴァーズステークスでも勝利した。トラヴァーズステークスを制したのは牝馬として2頭目、ベルモントステークスとトラヴァーズステークスを制した牝馬はルースレスのみである。ルースレスは11戦7勝2着4回の成績で3歳で引退した。

引退後はモリスの牧場で繁殖牝馬となったが、活躍する産駒は出なかった。1876年にハンターの誤射を受け、その数週間後に死亡した。

1975年アメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選出された。アケダクト競馬場ではルースレスを記念し1月にルースレスステークスが行われている。

年度別競走成績

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血統表

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ルースレス (Ruthless)血統タッチストン系 / Camel 3×4=18.25%、Cobweb (Sister to Cobweb) 4×4=12.50% (父内) 、Partisan 4×5=9.38%、Selim 5.5×5=9.38%) (血統表の出典)

Eclipse II
1855 鹿毛
父の父
Orlando
1841 鹿毛
Touchstone Camel
Banter
Vulture Langar
Kite
父の母
Gaze
1842 鹿毛
Bay Middleton Sultan
Cobweb
Flycatcher Godolphin
Sister to Cobweb

Barbarity
1854 鹿毛
Simoom
1838 鹿毛
Camel Whalebone
Selim Mare
Sea-Breeze Paulowitz
zephyretta
母の母
Buzzard Mare
1838 栗毛
Buzzard Blacklock
Miss Newton
Donna Maria Partisan
Donna Clara F-No.32


前述の通り、全妹に4頭の活躍馬がいる。しかし母としては本馬を含めいずれも失敗に終わっている。

  • Relentless(1戦1勝、サラトガステークス、1867年度最優秀2歳牝馬)
  • Remorseless(ナーサリーステークス、サラトガステークスなど、1869年度最優秀2歳牝馬)
  • Regardless(アラバマステークス、モンマスオークスなど)
  • Merciless(アラバマステークス)

外部リンク

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