ルートヴィヒ・カール・グスタフ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク
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ルートヴィヒ・カール・グスタフ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク(Ludwig Karl Gustav Prinz zu Hohenlohe-Langenburg, 1823年1月11日 グラーツ - 1866年7月26日 ケーニヒグレーツ)は、オーストリア帝国の軍人。陸軍大佐。
ホーエンローエ=ランゲンブルク侯子カール・グスタフ・ヴィルヘルム(1777年 - 1866年)とその妻の伯爵令嬢フリーデリケ・ラディスラヴァ・ツー・フュルステンベルク(1781年 - 1858年)の間の長男として生まれた。ホーエンローエ=ランゲンブルク侯家のオーストリア系・カトリック系分家に属し、本家の当主エルンスト1世侯とは又従兄弟の間柄であった。1866年7月26日、普墺戦争でオーストリアが決定的な敗北を喫したケーニヒグレーツの戦いで戦死した。
独身時代に平民女性マリアンネ・ザイフェルト(Marianne Seifert)と関係を持ち、間に娘を1人もうけている。1857年9月20日、プラハで伯爵令嬢ガブリエーレ・フォン・ウント・ツー・トラウトマンスドルフ=ヴァインスベルク(1840年 - 1923年)と結婚した。妻はローテンハウス城(現チェコ領ウースチー州イルコフ郊外チェルヴェニー・フラーデク)と付属所領の相続者で、この城は夫妻の長男に引き継がれた。
妻との間に6人の子があった。彼の孫のうち2人が著名である。
- マリー(1858年 - 1939年) - 1884年、パウル・フォン・アルメイダ伯爵と結婚
- ゴットフリート(1860年 - 1933年) - 1890年、伯爵令嬢アンナ・フォン・シェーンボルン=ブーフハイムと結婚
- マックス・エゴン(1897年 - 1968年) - 英独高官とのコネを利用した外交交渉で、ズデーテン危機での戦争回避に尽力
- マックス(1861年 - 1935年) - 1891年、伯爵令嬢カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルクと結婚
- マックス・カール(1901年 - 1943年) - 反ナチ運動家、刑死
- ガブリエーレ(1862年 - 1948年) - 1883年、アウエルスペルク侯子エンゲルベルト・フェルディナントと結婚
- アーデルハイト(1864年 - 1937年) - 1885年、カール・ホテク・フォン・ホトコウ伯爵[1]と結婚
- カール(1866年 - 1914年)
参考文献
[編集]- Alma Hannig, Martina Winkelhofer-Thyri (Hrsg.): Die Familie Hohenlohe. Eine europäische Dynastie im 19. und 20. Jahrhundert. Verlag Böhlau, Köln 2013, ISBN 978-3-41222201-7, S. 37.