ルーネンバーグ郡 (バージニア州)
バージニア州ルーネンバーグ郡 | |
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モットー: 古き自由州 | |
設立 | 1746年 |
郡庁所在地 | ルーネンバーグ |
面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
1,119 km2 (432 mi2) 1,116 km2 (431 mi2) 3 km2 (1 mi2), 0.16% |
人口 - (2010年) - 密度 |
12,914人 12人/km2 (30.36人/mi2) |
標準時 | 東部: UTC-5/-4 |
ウェブサイト | www |
ルーネンバーグ郡(ルーネンバーグぐん、英: Lunenburg County)は、アメリカ合衆国バージニア州の中央部南に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は12,914人であり、2000年の13,146人から1.8%減少した[1]。郡庁所在地は国勢調査指定地域のルーネンバーグ(人口165人[2])であり、同郡で人口最大の町はビクトリア町(人口1,725人[3])である。
歴史
[編集]ルーネンバーグ郡は1746年5月1日、ブランズウィック郡から分離して設立された。郡名はドイツのブランズウィック=リューネバーグ公国から採られており、イギリスのハノーヴァー朝の王がブラウンシュヴァイク=リューネブルク公を兼ねていたからだった。南北戦争に向かう時代に「古き自由州」という渾名があった。これは、もしノースカロライナ州がアメリカ連合国に加盟しなかった場合には、ルーネンバーグ郡がバージニア州と袂を分かち、ノースカロライナ州に加わる可能性があったからだった。
ルーネンバーグ郡の初期開拓者の中にキングウィリアム郡生まれのウィリアム・テイラーがいた。その父はバージニア生まれで、イングランドのトリニティ・カレッジで教育を受けた[4]英国教会の牧師のダニエル・テイラーであり、母はアリス・リトルページ・テイラーだった。ウィリアム・テイラーは、ウィリアムズバーグのベンジャミン・ウォラーの娘、マーサ・ウォラーと結婚した[5]。
1760年、テイラーはルーネンバーグ郡で3つの隣接する土地、総面積827エーカー (3.35 km2) を購入した。間もなく郡の指導的な者となり、1765年から1768年には郡を代表してバージニア州下院議員を務めた[6]。1765年にはパトリック・ヘンリーの提案したバージニア決議に賛成票を投じた[7]。テイラーは郡事務官を51年間(1763年-1814年)務めた。
テイラーの郡事務官としての後任は息子のヘンリーが就き、1814年から1846年まで32年間務めた。もう一人の息子ウォラー・テイラー将軍は郡を代表してバージニア州下院議員を務め、その後インディアナ州ビンセンズに移転した。ウォラーはそこで判事となり、その後の米英戦争ではウィリアム・ハリソン将軍の下でアメリカ陸軍の副参謀を務めた。インディアナが州に昇格すると、1816年から1825年まで同州選出初代アメリカ合衆国上院議員の一人となった。ウォラーは1826年にルーネンバーグ郡の親戚の家を訪ねている時に死んだ[8]。
地理
[編集]アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は432平方マイル (1,120 km2)であり、このうち陸地432平方マイル (1,118 km2)、水域は1平方マイル (2 km2)で水域率は0.16%である[9]。
主要高規格道路
[編集]隣接する郡
[編集]- プリンスエドワード郡 - 北
- ノットウェイ郡 - 北東
- ブランズウィック郡 - 東
- メクレンバーグ郡 - 南
- シャーロット郡 - 西
プリンスエドワード郡 | ノットウェイ郡 | |||
シャーロット郡 | ブランズウィック郡 | |||
ルーネンバーグ郡 | ||||
メクレンバーグ郡 |
人口動態
[編集]人口推移 | |||
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年 | 人口 | %± | |
1790 | 8,959 | — | |
1800 | 10,381 | 15.9% | |
1810 | 12,265 | 18.1% | |
1820 | 10,662 | −13.1% | |
1830 | 11,957 | 12.1% | |
1840 | 11,055 | −7.5% | |
1850 | 11,692 | 5.8% | |
1860 | 11,983 | 2.5% | |
1870 | 10,403 | −13.2% | |
1880 | 11,535 | 10.9% | |
1890 | 11,372 | −1.4% | |
1900 | 11,705 | 2.9% | |
1910 | 12,780 | 9.2% | |
1920 | 15,260 | 19.4% | |
1930 | 14,058 | −7.9% | |
1940 | 13,844 | −1.5% | |
1950 | 14,116 | 2.0% | |
1960 | 12,523 | −11.3% | |
1970 | 11,687 | −6.7% | |
1980 | 12,124 | 3.7% | |
1990 | 11,419 | −5.8% | |
2000 | 13,146 | 15.1% | |
2010 | 12,914 | −1.8% |
基礎データ
人種別人口構成
|
年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
|
収入[編集]収入と家計 |
町
[編集]- ケンブリッジ
- ビクトリア
未編入の町
[編集]脚注
[編集]- ^ Quickfacts.census.gov - Lunenburg County Archived 2011年7月14日, at WebCite - accessed 2011-12-06.
- ^ American FactFinder - Lunenburg, Virginia - accessed 2011-12-06.
- ^ American FactFinder - Victoria, Virginia - accessed 2011-12-06.
- ^ Admissions to the College of St. John the Evangelist in the University of Cambridge, Part III, Robert Forsyth Scott, The University Press, Cambridge, 1903
- ^ Listing: "Rev. Daniel Taylor", Virginia Magazine of History and Biography, Vol. VIII, Virginia Historical Society, Printed by William Ellis Jones, Richmond, Va., 1901
- ^ Lyon Gardiner Tyler, Encyclopedia of Virginia Biography, Vol. I, Lewis Historical Publishing Company, New York, 1915
- ^ At his death in 1820, a Richmond newspaper noted in its obituary of William Taylor that he was the last man known to be alive who had heard Patrick Henry's famous "Give me liberty or give me death" speech in the Virginia House of Burgesses.[1]
- ^ Pattie B. Seay, Survey Report, The Taylor Cemetery Archived 2012年2月19日, at the Wayback Machine., Library of Virginia Digital Collection
- ^ “Census 2010 U.S. Gazetteer Files: Counties”. United States Census. 2013年4月13日閲覧。