ルーベン・アコスタ
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ルーベン・アコスタ・フェルナンデス(Ruben Acosta Fernández, 1934年4月4日 - )は、メキシコのバレーボール関係者。1984年から2008年まで国際バレーボール連盟会長を務めた。
経歴
[編集]メキシコ・サカテカス州ヘレス・デ・ガルシア・サリナス出身。 1984年に国際バレーボール連盟第2代会長に就任、連盟本部をスイスのローザンヌに移した。
1997年にはバレーボール全日本女子が着用したハーフパンツに苦言を呈し、伝統的なブルマーを着用するべきだと発言した。ビーチバレーでのビキニ着用も定めた[1]。
リベロ制、ラリーポイント制の導入、ビーチバレーのオリンピック種目化を実現した[2]。
2004年[3]、スイス人で国際バレーボール連盟専務理事を務めていたジャンピエール・セッピからアコスタ夫妻が国際オリンピック委員会から国際バレーボール連盟へ入った資金を不正流用していると刑事告発を受けたが、2006年3月ローザンヌの裁判所はこの告発を却下した[4]。その後2006年10月、セッピは国際ビーチバレー・バレーボール協会(FIABVB)設立を発表した[5]。
会長当時、権限が彼に集中していた。彼の後に会長に就任した魏紀中は、2009年、次期会長選が民主的なやり方で実施されることを約束した[7]。
脚注
[編集]- ^ 『Go Ahead! 永久保存版・全日本バレーのすべて。』 (Sports Graphic Number PLUS)2006年 ISBN 978-4160081475
- ^ a b “アコスタ会長、退任表明 バレー連盟発展に手腕”. 共同通信 (2008年5月14日). 2012年4月24日閲覧。
- ^ 国際バレー連盟会長処分か
- ^ “アコスタ氏に対する告発を却下”. AFP (2006年3月15日). 2012年4月24日閲覧。
- ^ “FIVB対抗組織設立へ/前専務理事のセッピ氏”. 四国新聞 (2006年10月25日). 2012年4月24日閲覧。
- ^ “Dr. Acosta expresses his intention to hand over the presidency at the FIVB Congress in Dubai on 16 & 17 June”. 国際バレーボール連盟 (2008年5月14日). 2012年4月24日閲覧。
- ^ “FIVB president promises democratic future to volleyball federations”. playthegame.org (2009年5月26日). 2012年4月24日閲覧。
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