レイコ・B・リスター
れいこ びー. りすたー レイコ B. リスター | |
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生誕 |
1934年??月??日 日本 東京都中野区 |
死没 | 2021年(86 - 87歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 女学校 |
職業 | 実業家 |
団体 | エルインターナショナル株式会社 |
配偶者 | 現在はなし |
子供 | あり |
レイコ B. リスター(1934年 - 2021年)は、日本の実業家。株式会社エルインターナショナル創業者で代表[1]。
1934年東京生まれ。[要出典]
専門学校で英語力を磨き、モデル・女優業などを経て23歳でアメリカの軍人と結婚。一女に恵まれるが、社交三昧の生活に疑問を感じ、26歳で翻訳スタッフとしてマックスファクター日本支社に入社。女性の幹部教育を米国本社に提案すると、その責任者に抜擢される。[要出典]
ファイザーのコティ事業部に招かれ、当時日本で唯一の女性マーケティング部門責任者となる。[要出典]
1969年、人生の再出発を決意して単身渡米後、離婚。[要出典]
エスティローダー勤務の後、資生堂アメリカに美容部長としてスカウトされ、全米を飛び回る。その後、シカゴにて化粧品販売のプロを養成する学校を立ち上げる。[要出典]
1974年、レブロン本社から日本に単身赴任。高級化粧品ボルゲーゼ事業を成功させる。[要出典]
マックスファクター社からフランスの伝統ブランド「オルラーヌ」を日本に導入する責任者にと要請され、43歳でオルラーヌ・ジャポン社長に就任。日本初の女性外資系企業社長となる。親会社の経営難により日本撤退の危機になると、45歳で化粧品専門商社エル・インターナショナルを設立し、「オルラーヌ」事業を継続。日本輸入化粧品協会理事長などを歴任。[要出典]
1982年には東京スチュワーデス専門学院の設立にも携わり、20年間学院長を務める。[要出典]
2001年世界優秀女性起業家賞、2002年フランス国家功労勲章「シュヴァリエ」、2003年日刊工業新聞社「女性経営者賞」などを受賞。[要出典]
80歳を過ぎて化粧品業界の第一線を退く。[要出典]
2021年2月、病没(86歳)。[要出典]
著書
[編集]- 『男社会を優雅に泳ぐ魔法の言葉』(講談社、2004年。ISBN 978-4062126724)
- 『「美」のために生きて』(アートデイズ、2022年。ISBN 978-4861192982)
出演
[編集]脚注
[編集]- ^ “エルインターナショナルホームページ”. 2009年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月3日閲覧。