レイモンド・チョウ
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レイモンド・チョウ | |
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プロフィール | |
出生: | 1927年10月8日 |
死去: | 2018年11月2日 (91歳没) |
出身地: | イギリス領香港 |
職業: | 映画プロデューサー |
各種表記 | |
繁体字: | 鄒文懷 |
簡体字: | 邹文怀 |
拼音: | Zōu Wénhuái |
発音転記: | ゾウ ウェンフゥァイ |
英語名: | Raymond Chow |
レイモンド・チョウ(Chow Man-wai, Raymond、鄒文懐、簡体字: 邹文怀、拼音: 、1927年10月8日 - 2018年11月2日[1])は、イギリス領香港出身(本籍は広東省潮州)の映画プロデューサー。ゴールデン・ハーベストの設立に関わり、長く会長を務め、「香港映画の父」と呼ばれた[1]。
プロフィール
[編集]ショウ・ブラザーズ
[編集]1949年に、中華民国上海市の聖ヨハネ大学(現在は跡地に華東政法大学が建つ)卒業後、香港に戻る。英字新聞社「香港スタンダード」の記者を10年間務めた後、1950年にショウ・ブラザーズに転職。宣伝主任、宣伝部長、製作本部長を歴任し、1970年に同社を退社し独立[1]。
ゴールデン・ハーベスト
[編集]ゴールデン・ハーベストを設立し、ブルース・リーやジャッキー・チェンと契約して世界各国で大ヒット作を連発し、同社を香港最大の映画会社に発展させる。
1982年の「キャノンボール」で、ハリウッド進出にも成功している。
1998年に、香港特別行政区政府より文化人への栄誉を称える「金紫荊星章」を受章した。
2007年、ゴールデン・ハーベストを中華人民共和国本土の伍克波が所有する橙天娯楽集団(オレンジスカイ・エンターテインメントグループ)に売却した[2]。
2008年の第27回香港電影金像奨においては終身成就獎を贈られた。
逝去
[編集]2018年11月2日に逝去していたことが翌3日に香港メディアによって明らかにされた。ただし死因は不明となっている[1]。
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “レイモンド・チョウ氏 91歳で死去 「香港映画の父」ジャッキー・チェンら育てる”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2018年11月4日) 2018年11月4日閲覧。
- ^ “组图:嘉禾主席邹文怀退休 公司交棒橙天娱乐”. 新浪. (2007年11月6日) 2019年8月23日閲覧。