レオン・ケンゴ
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レオン・ケンゴ | |
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2008年 | |
第12代ザイール共和国国家第一委員 | |
任期 1982年11月5日 – 1986年10月31日 | |
前任者 | ンシンガ・ウジュー |
後任者 | 廃止(首相職へ移行) |
任期 1988年11月26日 – 1990年5月4日 | |
前任者 | ジュール・フォンテーヌ・サンブワ |
後任者 | ルンダ・ブルル |
任期 1994年7月6日 – 1997年4月2日 | |
前任者 | フォスタン・ビリンドワ |
後任者 | エティエンヌ・チセケディ |
第6代コンゴ民主共和党元老院議長 | |
任期 2007年5月11日 – 2019年4月5日 | |
前任者 | ピエール・マリニ・ボドホ |
後任者 | レオン・マンボレオ |
個人情報 | |
生誕 | レオン・ルビッツ 1935年5月22日(89歳)[1] Libenge (Équateur province), ベルギー領コンゴ |
政党 | 革命大衆運動, Union of Forces of Change |
出身校 | ブリュッセル自由大学 (1962–1968, PhD in Law) |
レオン・ケンゴ・ワ・ドンド(フランス語: Léon Kengo wa Dondo、1935年5月22日 - )は、ザイール及びコンゴ民主共和国の政治家。モブツ・セセ・セコ政権のもとで国家第一委員(現在のコンゴ民主共和国における首相に相当)を数回務めた[2]。そのほか、経済の世界化や自由市場経済の提唱者として活躍したほか、2007年から2019年までコンゴ民主共和国上院議長を務めた[3]。
初期の経歴
[編集]1935年5月22日、ベルギー領コンゴ(現・コンゴ民主共和国)でエクアトゥール県のLibengeにて、ポーランド系ユダヤ人の父とルワンダ系ツチ族の母の元にレオン・ルビッツとして生まれる[4][5]。1971年にモブツ政権におけるアフリカナイゼーションによりレオン・ケンゴ・ワ・ドンドに改名した。
活動
[編集]国家第一委員(首相に相当)として
[編集]上院議長として
[編集]参考
[編集]- ^ Official birth date mentioned on his candidacy file for the 2011 presidential elections: Kengo wa Dondo Léon, Radio Okapi, 28 September 2011
- ^ “Zaire's Prime Minister Gives in to Parliament and Resigns Post”. Los Angeles Times. (25 March 1997) .
- ^ “Democratic Republic of the Congo”. New Parline: the IPU’s Open Data Platform (beta) (July 5, 2018). 2022年4月20日閲覧。
- ^ Dan Colwell, "The Jews of the Congo", The Bulletin (Brussels), 26 February 2004
- ^ Gérard Prunier, The Rwanda crisis: history of a genocide, C. Hurst & Co. Publishers, London, 1995, p. 319 n16 ISBN 978-1-85065-372-1
脚注
[編集]- Mutua, Makau wa; Rosenblum, Peter (1990). Zaire: repression as policy : a human rights report. New York: Lawyers Committee for Human Rights. ISBN 9780934143356