レオン・ポール
レオン・ポール Leon Pole | |
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レオン・ポール作「村の洗濯女」(1891) | |
生誕 |
1871年6月28日 オーストラリア、アデレード |
死没 | 1951年12月31日 (80歳没) |
レオン・ポール(Leon Pole、1871年6月28日 - 1951年12月31日)は、オーストラリアの画家である。オーストラリアにおける印象派のスタイルの画家グループ、「ハイデルバーグ派」(Heidelberg School)の画家から影響を受けた世代の画家である。
略歴
[編集]オーストラリア、南オーストラリア州のアデレードで生まれた。メルボルンに移り1888年から1892年の間、ビクトリア国立美術館付属の美術学校(National Gallery of Victoria Art School)で「ハイデルバーグ派」の画家、フレデリック・マッカビン(1855-1917)に学んだ。学生時代から、アーサー・ストリートン(1867-1943)やチャールズ・コンダー(1868-1909)、トム・ロバーツ(1856-1931)といったハイデルバーグ派の画家たちとメルボルン近郊のイーグルトンやハイデルバーグで写生をした[1]。1890年にはウォルター・ウィザーズ(1854-1914)らとアイバンホー(Ivanhoe) のCharterisvilleに滞在し絵を描いた[2]。
レオン・ポールの最も良く知られた作品は、村の洗濯女とその2人の娘を描いた「The Village Laundress」 (1891)で1987年のオークションで比較的高値で取引されたあと、現在はビクトリア国立美術館に所蔵されている[3]。
レオン・ポールはマックス・メルドラム(Max Meldrum: 1875-1955)やライオネル・リンゼイ(Lionel Lindsay: 1874–1961)、ノーマン・リンゼイ(Norman Lindsay: 1879-1969)といった画家たちとともに、ボヘミアン的な行動で知られるメルボルンの「カニバル・クラブ(Cannibal Club)」に参加した[4] 。このグループはロンドンのカニバル・クラブを真似て1890年代に設立されたものである。
1901年にメルボルンの王立展示館で開かれた第一回オーストラリア連邦議会開会式に際して他の3人の画家と壁画を描いた。
作品
[編集]-
サンドリンガム・ビーチ (c.1890)
参考文献
[編集]- ^ Astbury, Leigh; Phipps, Jennifer (1989). Sunlight and Shadow: Australian Impressionist Painters, 1880-1900. Bay Books. ISBN 9781862562950, p. 134.
- ^ Kerr, Joan (2007). "Leon Pole", Design and Art Australia Online. Retrieved 17 July 2018.
- ^ Maslen, Geoffrey (14 May 1995). "Educating Your Eye at Auctions". The Canberra Times. Retrieved 15 July 2018.
- ^ Shirlow, John (4 December 1920). "Australian Artists: Lionel Lindsay", The Herald. Retrieved 16 July 2018.